July 062002
青柚子や山の祭に海の魚
吉田汀史
季語は「祭」で夏としてもよいが、青蜜柑や青林檎などと同様の使い方の「青柚子(あおゆず)」で夏としておきたい。まだ十分には熟していない柚子。歳時記には載っていないようだけれど、句では青柚子の季語的な役割が大きいと見て、当歳時記の新項目として追加した。句意は明瞭だ。山国の祭のご馳走に、青柚子を添えた「海の魚」料理が出された。刺し身だろうか。ただそれだけの情景であるが、この皿の上には、ご馳走やもてなしに対する人々の歴史的な考え方が凝縮されて盛られている。作者はここで、当地ではなかなか入手困難な素材を使い、それをさりげなく提供することで、客人への厚いもてなしの表現としてきた歴史を感じているのだ。いまでこそ山国でも海の魚の入手は楽になったが、つい半世紀前くらいまでは、容易なことではなかった。海の魚が口に入るのは、それこそ祭のときくらいだった。そうした歴史があるから、いまだにたとえば山の宿などでは、夕食には必ず海の魚をご馳走として添えて出す。山国なのだから山の物づくしにすればよいと思うのは、都会ずれしたセンスなのであって、そう簡単にもてなしの伝統を変更するわけにはいかないのだ。山国で出される海の物は、鮮度も落ちているし、正直言って美味ではない。このときに、そこらへんから取ってきた青柚子ばかりが輝いている。しかし、この両者が一枚の皿の上に乗せられてはじめて、山の人のもてなしの心が伝わってくる。この心をこそ、客は美味として味わうべきだろう。『一切』(2002)所収。(清水哲男)
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