短冊に願いを書いた記憶がない。こんな田舎にはいたくない。そんなこと書けなかった。




2002ソスN7ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 0772002

 七夕竹惜命の文字隠れなし

                           石田波郷

惜命表紙
まりにも有名な句。「七夕竹」は「たなばただけ」。「波郷忌や惜命の語の去りやらぬ」(海斗)のように、波郷といえば掲句を思い出す人は少なくないだろう。大陸で病を得た波郷は、戦後三年目の五月に、東京都下清瀬村(現・清瀬市)国立東京療養所7寮6番室に入所している。以下、年譜による。10月14日、第1次成形手術を受ける。宮本忍博士執刀。右第1―第4肋骨切除。12月2日、第2次成形手術、宮本忍博士執刀。右第5―第7肋骨切除。病状ますます快方に向かうが菌はなお陽性。そんな療養生活のなかでの七夕祭。患者たちのそれぞれの思いが、短冊に書きつけられて飾られた。なかで波郷の目を引いたのが、というよりも凝視せざるを得なかったのが「惜命(しゃくみょう)」の二字だった。イノチヲオシム……、イノチガオシイ……。「隠れなし」とは、本当は他の短冊や笹の葉などに少し隠れていて、短冊全体は見えていないのだ。しかし「惜命」の二字がちらりと見えたことで、全てが見えたということである。結核療養所での「惜命」などとという言葉遣いは、明日の希望につながらないから、おそらくは暗黙のうちのタブーであったろう。それを、真正直に書いた人がいた。この本音をずばりと記した短冊を凝視する波郷自身は、さてどんな願いを書いたのだろうか。なお「七夕」は陰暦七月七日の夜のことだから、秋の季語である。「七夕や秋を定る夜の初」(芭蕉)。『惜命』(1950)所収。(清水哲男)


July 0672002

 青柚子や山の祭に海の魚

                           吉田汀史

語は「祭」で夏としてもよいが、青蜜柑や青林檎などと同様の使い方の「青柚子(あおゆず)」で夏としておきたい。まだ十分には熟していない柚子。歳時記には載っていないようだけれど、句では青柚子の季語的な役割が大きいと見て、当歳時記の新項目として追加した。句意は明瞭だ。山国の祭のご馳走に、青柚子を添えた「海の魚」料理が出された。刺し身だろうか。ただそれだけの情景であるが、この皿の上には、ご馳走やもてなしに対する人々の歴史的な考え方が凝縮されて盛られている。作者はここで、当地ではなかなか入手困難な素材を使い、それをさりげなく提供することで、客人への厚いもてなしの表現としてきた歴史を感じているのだ。いまでこそ山国でも海の魚の入手は楽になったが、つい半世紀前くらいまでは、容易なことではなかった。海の魚が口に入るのは、それこそ祭のときくらいだった。そうした歴史があるから、いまだにたとえば山の宿などでは、夕食には必ず海の魚をご馳走として添えて出す。山国なのだから山の物づくしにすればよいと思うのは、都会ずれしたセンスなのであって、そう簡単にもてなしの伝統を変更するわけにはいかないのだ。山国で出される海の物は、鮮度も落ちているし、正直言って美味ではない。このときに、そこらへんから取ってきた青柚子ばかりが輝いている。しかし、この両者が一枚の皿の上に乗せられてはじめて、山の人のもてなしの心が伝わってくる。この心をこそ、客は美味として味わうべきだろう。『一切』(2002)所収。(清水哲男)


July 0572002

 緑陰に話して遠くなりし人

                           矢島渚男

語は「緑陰(りょくいん)」で夏。青葉の繁りが作る陰のこと。美しい言葉だ。最初に使ったのは、どこの誰だろう。万緑などとと同じように、やはり昔の中国の詩人の発想なのだろうか。作者に限らず、このように「遠くなりし人」を懐かしむ心は、ある程度の年齢を重ねてくれば、誰にも共通するそれである。真夏の日盛りの下で話をするとなれば、とりあえず木陰に避難する他はない。話の相手が同性か異性かはわからないけれど、私はなんとなく異性を感じるが、むろん同性だって構わないと思う。異性の場合にはウワの空での話だったかもしれないし、同性ならば激論であったかもしれない。とにかく、暑い最中にお互い熱心に戸外で話し合うことそれ自体が、濃密な時間を過ごしたことになる。それほどの関係にありながら、しかし歳月を経るうちに、いつしか「遠くなりし人」のことを、作者はそれこそ緑陰にあって、ふと思い出しているのだろう。あのときと少しも変わらぬ緑陰なれど、一緒に話した「人」とはいつしか疎遠になってしまった。どこで、どうしているのか。甘酸っぱい思いが涌いてくると同時に、もはや二度と会うこともないであろうその「人」との関係のはかなさに、人生の不思議を感じている。句の第一の手柄は、読者にそれぞれのこうした「遠くなりし人」を、極めてスゥイートに思い出させるところにある。美しい「緑陰」なる季語の、美しい使い方があってのことだ。『延年』(2002)所収。(清水哲男)




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