玉岡さん。今日も聞いてくださってますか。スクリーンリーダーの調子は如何でしょう。




2002ソスN7ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 0872002

 北へ展く野面の光蛇の光

                           酒井弘司

語は「蛇」で夏。「川越四句」のうちの一句。埼玉県川越市を訪れたときの句だ。「川越市は、埼玉県の中央部よりやや南部、武蔵野台地の東北端に位置しています。東西16.27km、南北13.81kmで面積は109.16平方キロです。西から東へ向けてゆるやかに傾斜していますが、全体的に平坦で、おおまかには北東部の水田地帯、中央部の市街地、南西部の畑地帯に分けられます」(川越市HP)。この説明からすると、作者は「北東部の水田地帯」に向いていることになる。まさに「北へ展(ひら)く」の情景だ。広大な「野面(のづら)の光」が、目に心地よい。さて、読みどころは「蛇の光」だけれど、野面に見えるシルバー・グレイの光といえば、川のそれではあるまいか。広々とした野を蛇行しながら流れている川の光が、作者をして即興的に「蛇の光」と言わしめたのだと思われる。実際に、たとえば池袋から東武東上線で川越に向かうと、車窓から新河岸(しんがし)川の流れを見ることができる。江戸期には、川越から江戸に食料や燃料などを運ぶ一大水上ハイウエイであった。この川を地図で見ると、文字通りにうねうねと蛇行している。知恵伊豆と呼ばれた松平信綱が川越藩主になってから、舟の運行に適するように故意に多くの屈曲をつけ、水量を保持するなどの改修を行ったためという。「九十九曲がり仇ではこせぬ通い船路の三十里」(船頭歌)。そういうことを思い合わせれば、作者の目は水平に野面や川を見ているのと同時に、もう一つ、はるかな高見から俯瞰的に見ている目が感じられる。気持ち良くもスケールの大きな句柄は、このいわば複眼の産物だと理解した。俳誌「朱夏」(2002・43号)所載。(清水哲男)


July 0772002

 七夕竹惜命の文字隠れなし

                           石田波郷

惜命表紙
まりにも有名な句。「七夕竹」は「たなばただけ」。「波郷忌や惜命の語の去りやらぬ」(海斗)のように、波郷といえば掲句を思い出す人は少なくないだろう。大陸で病を得た波郷は、戦後三年目の五月に、東京都下清瀬村(現・清瀬市)国立東京療養所7寮6番室に入所している。以下、年譜による。10月14日、第1次成形手術を受ける。宮本忍博士執刀。右第1―第4肋骨切除。12月2日、第2次成形手術、宮本忍博士執刀。右第5―第7肋骨切除。病状ますます快方に向かうが菌はなお陽性。そんな療養生活のなかでの七夕祭。患者たちのそれぞれの思いが、短冊に書きつけられて飾られた。なかで波郷の目を引いたのが、というよりも凝視せざるを得なかったのが「惜命(しゃくみょう)」の二字だった。イノチヲオシム……、イノチガオシイ……。「隠れなし」とは、本当は他の短冊や笹の葉などに少し隠れていて、短冊全体は見えていないのだ。しかし「惜命」の二字がちらりと見えたことで、全てが見えたということである。結核療養所での「惜命」などとという言葉遣いは、明日の希望につながらないから、おそらくは暗黙のうちのタブーであったろう。それを、真正直に書いた人がいた。この本音をずばりと記した短冊を凝視する波郷自身は、さてどんな願いを書いたのだろうか。なお「七夕」は陰暦七月七日の夜のことだから、秋の季語である。「七夕や秋を定る夜の初」(芭蕉)。『惜命』(1950)所収。(清水哲男)


July 0672002

 青柚子や山の祭に海の魚

                           吉田汀史

語は「祭」で夏としてもよいが、青蜜柑や青林檎などと同様の使い方の「青柚子(あおゆず)」で夏としておきたい。まだ十分には熟していない柚子。歳時記には載っていないようだけれど、句では青柚子の季語的な役割が大きいと見て、当歳時記の新項目として追加した。句意は明瞭だ。山国の祭のご馳走に、青柚子を添えた「海の魚」料理が出された。刺し身だろうか。ただそれだけの情景であるが、この皿の上には、ご馳走やもてなしに対する人々の歴史的な考え方が凝縮されて盛られている。作者はここで、当地ではなかなか入手困難な素材を使い、それをさりげなく提供することで、客人への厚いもてなしの表現としてきた歴史を感じているのだ。いまでこそ山国でも海の魚の入手は楽になったが、つい半世紀前くらいまでは、容易なことではなかった。海の魚が口に入るのは、それこそ祭のときくらいだった。そうした歴史があるから、いまだにたとえば山の宿などでは、夕食には必ず海の魚をご馳走として添えて出す。山国なのだから山の物づくしにすればよいと思うのは、都会ずれしたセンスなのであって、そう簡単にもてなしの伝統を変更するわけにはいかないのだ。山国で出される海の物は、鮮度も落ちているし、正直言って美味ではない。このときに、そこらへんから取ってきた青柚子ばかりが輝いている。しかし、この両者が一枚の皿の上に乗せられてはじめて、山の人のもてなしの心が伝わってくる。この心をこそ、客は美味として味わうべきだろう。『一切』(2002)所収。(清水哲男)




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