芸林書房版辻征夫詩集の選詩と解説が遅れに遅れている。難しいんだよ、辻の詩は……。




2002ソスN7ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1872002

 ふるさとは盥に沈着く夏のもの

                           高橋睦郎

休みには帰省する人が多いので、めったに帰省することのない私などでも、影響されて「ふるさと」のことを思い出す。作者もまた、実際に帰省しているのではなく、追想しているのではなかろうか。思い出すときには、まず故郷に風景や人物を結びつけるのが大方の人であろうが、作者は違う。「ふるさと」というと、まっさきに「盥(たらい)」に「沈着く(しづく)夏のもの」がイメージされるのだ。夏は、洗濯物が多い。一日に何度か洗濯をするので、いつも盥には洗い物がつけられていた。「沈着」は「物ごとに動ぜず落ち着いていること」の意だけれど、句のように「底に溜まって貼り付いている様子」という意味でも用いられる。むしろ、後者が本意なのだろう。掲句が面白いのは、洗濯物のつけてある盥の情景などは「ふるさと」に固有のものではなく、日本全国どこででも見られたそれであるのに、作者が断固として「ふるさと」に限定して作っているところだ。しかも、この断固たる口調には説得力がある。言われてみれば、故郷の山河よりも、よほど日常的なこちらの情景のほうに「ふるさと」があるような気がしてくる。美しき山河も結構だが、かつての平凡な生活の営みにこそ自分は育てられたのであり、その認識を欠いた望郷の念の表出はいただきかねる。と、そこまでは書かれていないが、私としては「ふるさとは」と大きく振りかぶった作者の姿勢に、そこまで読んでもよいと思われたのだが……。『稽古』(1988)所収。(清水哲男)


July 1772002

 子規は眼を失はざりき火取虫

                           浅香甲陽

語は「火取虫(ひとりむし)」で夏。「灯蛾(ひが)」「火蛾(かが)」とも言い、夏の夜、燈火に突進してくる蛾のことだ。他の虫は含まないのが定説。「飛んで火に入る夏の虫」と人間は強がってもみるが、火取虫の灯に接しての狂いようには、後しざりしたくなるほどの物凄さがある。その物凄さを、作者はいまや見ることが適わない。ただ羽音からのみ、目が見えていたころに見ていた様子の記憶に重ね合わせて、推察するのみである。まさに眼前に火取虫が来ているのに見えないもどかしさは、元来が見えていた人にとってはいかばかりだろうか。たとえば鶯の鳴き声を聞くなどのときには、姿は見えずともよい。しかし、眼前の火取虫は時に打ち払う必要もあるのだ。「子規」とは、むろん正岡子規のこと。病床六尺で病苦にさいなまれた子規ではあるが、しかし、彼には視力が残されていた。十代でハンセン病を罹患し、三十代に失明した作者の気持ちは、掲句において「憤怒の様相」(林桂)すら帯びている。それも、やり場の無い怒りであることは、当人がいちばんよく承知しているにも関わらず、こう表現しなければいられないやりきれなさが痛いほどに伝わってくる。この句が載っている遺句集『白夢』は、村越化石の編集により栗生樂泉園文芸部より1950年に発行されている。それがこのほど(2002年7月)、作者が闘病をつづけた地とゆかりの群馬県在住の俳人・林桂らの尽力により復刻された。発売は前橋市の喚乎堂。(清水哲男)


July 1672002

 女涼し窓に腰かけ落ちもせず

                           高浜虚子

語は「涼し」で夏。なんとなく可笑しい句だ。笑えてくる。「女」が「腰かけ」ているのは、二階あたりの「窓」だろう。女性が窓に腰かけるとすれば、解放感にひたれる旅館か別荘である。少なくとも、自宅ではない。涼を取るために開け放った窓の枠にひょいと腰かけて、たぶん室内にいる人と談笑しているのだろう。柱に掴まるでもなく、両手を大きく広げたり、のけ反り気味に笑ったりしている。作者には下から見えているわけだが、いささかはらはらさせられると同時に、女性の屈託の無い軽やかさが「涼し」と感じられた。この「涼し」は「涼しい顔」などと言うときの「涼し」にも通じていると思われる。「落ちもせず」が、そのことを感じさせる。それにしても「落ちもせず」というぶっきらぼうな押さえ方は愉快だ。でも、逆に虚子は少々不愉快だったから、ぶっきらぼうに詠んだのかもしれない。お転婆女性は好きじゃなかったと想像すると、「涼し」の濃度は「涼しい顔」への「涼し」にぐんと近づく理屈だ。だとすれば、「落ちもせず」は「ふん」と鼻白んだ気分から出たことになるが、いずれにしても可笑しい句であることに変わりはない。別にたいしたことを言っているわけじゃないのに、こういう句のほうが記憶に残る。さすれば、これはやっぱり、たいしたことなのではあるまいか。遺句集『七百五十句』(1964)所収。(清水哲男)




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