夏祭りの季節。若い頃にはよく出かけたが、最近は人込みが億劫でとんと御無沙汰だ。




2002ソスN7ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2172002

 草ぐきに鰓さしきたる涼しさよ

                           斎藤梅子

くちぼそ
の夕景。釣った魚を「草ぐき」に吊るした人が戻ってきた。まだ、水がぽとぽとと滴っている。いかにも「涼し」げだ。一読、忘れていた少年時代の一コマを思い出した。退屈だった夏休み。魚釣りにでも行くかと、麦藁帽子(大人用、農民の必需品、かぶると重かった)をかぶって、ひとりでよく近くの川へ出かけたっけ。餌はミミズ。そのへんの土をほじくり返し、シマミミズをゲットして空缶に入れていく。暑さも暑し。炎天下で釣りざお(といっても、それこそそのへんの竹を適当な長さに切り取ったものだった)を垂れていると、ぼおっとしてきて意識が遠くなりそう……。釣れてもよし、釣れなくてもよし。どうでもよし。洒落た魚篭はおろかバケツなんてものもないので、釣れたら掲句の人のように、茎の細くて丈夫そうな草を引きちぎって、鰓(えら)から口に刺し貫いて川水に漬けておく。いちばん釣れたのは「くちぼそ」(写真・平安神宮HPより)だった。「コイ科の淡水産の硬骨魚。体は細長く、全長約8センチ。モロコに似ているが、口ひげがない。各鱗の後縁が黒く、暗色の帯や斑紋があることが多い。日本各地に広く分布。焼いて鳥の餌とする」[広辞苑第五版]。いくら釣れても食べた記憶はないので、いま調べてみたら鳥(たぶん鶏)の餌だったのか。でも、もう少し体長はあったと思うけど。そうこうしているうちに日が西に傾きかけ、晩のご飯を炊くために、獲物をそのへんにぶん投げて走って家に戻るのだった。たぶん、明日も同じことを繰り返すのだろう。『八葉』(2002)所収。(清水哲男)


July 2072002

 うなぎの日うなぎの文字が町泳ぐ

                           斉藤すず子

語は「うなぎの日(土用丑の日)」で夏。ただし、当歳時記では「土用鰻」に分類。この日に鰻(うなぎ)を食べると、夏負けしないと言い伝えられる。今年は今日が土用の入りで、いきなり丑の日と重なった。したがって、この夏の土用の丑の日はもう一度ある。鰻にとっては大迷惑な暦だ。句のように、十日ほど前から、我が町にも鰻専門店はもちろんスーパーなどでも「うなぎの文字」が泳いでいる。漢字で書くと読めない人もいると思うのか、たいていの店が「うなぎ」と平仮名で宣伝している。面白いのは「うなぎ」の文字の形だ。いかにも「うなぎ」らしく見せるために、にょろにょろとした形に書かれている。なかには、実際の姿を組合わせて文字に仕立てた貼紙もあって、句の「うなぎ」表記はなるほどと思わせる。作者は、夏が好きなのだ。もうこんな季節になったのかと、町中を泳ぐ「うなぎ」に上機嫌な作者の姿がほほ笑ましい。今宵の献立は、もちろんこれで決まりである。私は丑の日だからといって鰻を食べようとは思わない性質(たち)だけれど、世の中には、こういうことに律義な人はたくさんいる。名のある店では、今日はさしずめ「鰻食ふための行列ひん曲がる」(尾関乱舌)ってなことになりそう……。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


July 1972002

 をさなくて昼寝の國の人となる

                           田中裕明

語は「昼寝」で夏。「をさなくて」を、どう読むか。素直に「幼いので」と読み、小さな子供が寝つきよく、すうっと「昼寝の國」に入っていった様子を描いた句としてもよいだろう。そんな子供の寝姿に親は微笑を浮かべ、ときおり団扇で風を送ってやっている。よく見かける光景だ。もう一つには、作者自身が「幼くなって」「幼い気持ちになって」昼寝に入ったとも読める。夜の就寝前とは違い、昼寝の前にはあまりごちゃごちゃと物を考えたりはしない。たとえ眠れなくても、たいして気にはかからない。とりあえずの一眠りであり一休みであり、すぐにまた起きるのだからと、気楽に眠ることができる。この精神状態を「をさなくて」と言っているのではあるまいか。子供時代に帰ったような心持ち。この気楽さが、作者をすぐに「昼寝の國」に連れていってくれた。そこには、大人の世界のような込み入った事情もなければ葛藤もない。みんなが幼い人として、素直に邪心なく振る舞っている。大人的現実の面倒なあれこれがないので、極めて快適だ。昼寝好きの私としては、後者を採りたいのだが、みなさんはどうお考えでしょうか。ちょっと無理でしょうかね。ともあれ、明日は休みだ。昼寝ができるぞ。『別冊「俳句」・現代秀句選集』(1998)所載。(清水哲男)




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