猟銃を盗んでスダレに巻いて隠すという発想。夏が来れば思い出す犯罪となりそうだ。




2002ソスN7ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2372002

 夕すずみよくぞ男に生れけり

                           宝井其角

やあ、暑いですねえ。本日は二十四節気の大暑(たいしょ)という日にあたります。極熱の盛んなるとき、一年中でいちばん暑いときと言われてきた。其角の生きていた江戸時代には、むろん冷房装置などはないので、夕方になると表に出て涼を取った。そして男は、表でも浴衣の腕もまくれば尻もはしょる。女性にはそれが出来なかったから、「よくぞ男に生れけり」なのである。が、いまの時代に其角がいたとしたら、とてもこう詠む気にはならないだろう。理由は、一分間ほど街を歩いてみれば、誰にでもわかること。それにしても、反俗の俳人にしては、実に他愛ない句だ。酔っぱらっての落書きみたいだ。ではあるけれど、この句ほどに有名になった句も珍しい。なかには俳句とは知らずに、この文句のバリエーションを口にしてきた人も多いだろう。その意味では、山口素堂の「目には青葉」の初鰹の句と双璧をなす。後者にはまだ技巧的な仕掛けがあるけれど、この句には何もない。なぜ、こんな句を作ったのか。私には永遠の謎になりそうだ。つまらなさついでに、其角句をもう一つ。「夏の月蚊を瑕にして五百両」。例の「春宵一刻値千金」を踏まえていて、夏の月も本来ならば「千金」のはずなのだが、蚊が出てくるのが(タマに)「瑕(きず)」であり、半額の値打ちにせざるを得ないという意味だ。作者が考えた割に「よくぞ」ほど俗受けしなかったのは、見え透いた下手な仕掛けのせいだろう。両句ともに、あまりの暑さで、さすがの其角の頭もよくまわらなかったせいかとも思われてきた。重ねて、暑中お見舞い申し上げます。(清水哲男)


July 2272002

 アメリカへ行くお別れの水遊び

                           塩見道子

語は「水遊び」で夏。子供の水を使う遊び全般を指す。公園の噴水池でじゃぶじゃぶやったり、水のかけっこや水鉄砲など、子供たちは水が好きだ。この場合は、ふくらませて庭に置くビニール製のプールでの遊びのような感じがする。「アメリカへ行く」といっても観光旅行ではなく、夫の仕事上での転勤で、一家をあげて渡米するのだ。当分の間は、日本に戻ってこられない。そこで、まだ幼い子の近所の仲良し二、三人に来てもらって、しばし「お別れの水遊び」というわけである。むろん、子供らにはこれでもういっしよには遊べなくなることなどわからないから、いつものようにいつもの調子で、無心にはしゃいでいる。その屈託のない無邪気さが、作者を余計に切なくさせている。行きたくない、このままの平凡な生活がいいな。ちらりと、そんな思いも心をかすめたことだろう。こうした別れの場面が珍しくなくなってから、もう四半世紀ほどになる。私の娘もドイツ暮らしが長いし、つい最近では甥っ子がカナダに転勤となった。友人知己の身内にも、外国暮らしは何人もいる。現に当ページを、海外で読んでおられる日本人の読者も少なくない。まことに時代の激変を感じるが、私にとってはいかに飛行機が速く飛ぶようになっても、アメリカもドイツもカナダも、やはりはるかに遠い国のままである。掲句に目が止まった所以だ。『新日本大歳時記・夏』(2000)所載。(清水哲男)


July 2172002

 草ぐきに鰓さしきたる涼しさよ

                           斎藤梅子

くちぼそ
の夕景。釣った魚を「草ぐき」に吊るした人が戻ってきた。まだ、水がぽとぽとと滴っている。いかにも「涼し」げだ。一読、忘れていた少年時代の一コマを思い出した。退屈だった夏休み。魚釣りにでも行くかと、麦藁帽子(大人用、農民の必需品、かぶると重かった)をかぶって、ひとりでよく近くの川へ出かけたっけ。餌はミミズ。そのへんの土をほじくり返し、シマミミズをゲットして空缶に入れていく。暑さも暑し。炎天下で釣りざお(といっても、それこそそのへんの竹を適当な長さに切り取ったものだった)を垂れていると、ぼおっとしてきて意識が遠くなりそう……。釣れてもよし、釣れなくてもよし。どうでもよし。洒落た魚篭はおろかバケツなんてものもないので、釣れたら掲句の人のように、茎の細くて丈夫そうな草を引きちぎって、鰓(えら)から口に刺し貫いて川水に漬けておく。いちばん釣れたのは「くちぼそ」(写真・平安神宮HPより)だった。「コイ科の淡水産の硬骨魚。体は細長く、全長約8センチ。モロコに似ているが、口ひげがない。各鱗の後縁が黒く、暗色の帯や斑紋があることが多い。日本各地に広く分布。焼いて鳥の餌とする」[広辞苑第五版]。いくら釣れても食べた記憶はないので、いま調べてみたら鳥(たぶん鶏)の餌だったのか。でも、もう少し体長はあったと思うけど。そうこうしているうちに日が西に傾きかけ、晩のご飯を炊くために、獲物をそのへんにぶん投げて走って家に戻るのだった。たぶん、明日も同じことを繰り返すのだろう。『八葉』(2002)所収。(清水哲男)




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