闡幃」セ蛹玲鮪縺ョ句

July 2572002

 ひと魂でゆく気散じや夏の原

                           葛飾北斎

世絵師・北斎の辞世句として、つとに知られる。享年九十というから、長命だった。「気散じ(きさんじ)」は心の憂さをまぎらわすこと、気晴らしのことだ。これからの俺は「ひと魂(ひとだま)」となって、ふうわりふうわりと「夏の原」を気ままに漂うのさ。もう暑さなんかも感じないですむし、こんなに気楽なことはない。では、みなさまがたよ、さようなら……。北斎は川柳をよくしたので、川柳のつもりで詠んだのかもしれない。死を前にした境地ながら、とぼけた味わいがある。言い換えれば、残された者への救いがある。同じ辞世句にしても、たとえば芭蕉の「旅に病で夢は枯野をかけ迴る」などとは大いに異なっている。ところで、最近気になるのが、この死ぬ前の境地という心のあり方だ。それぞれの境地に至るのはそれぞれの個人であるわけだが、一方ですべての境地はその人が生きた社会的産物でもあるだろう。となれば、現代社会の産物としての境地なるものは、どんな中身と構造を持つのだろうか。少なくとも江戸期などとはまったく違うだろうし、それをよく俳句様式に集約できるものなのかどうかもわからない。辞世の念を述べる述べないはさておき、私にも一度だけチャンスは訪れる。そのときに果たして、何が見えるのだろうか。べつに、楽しみしているのではないけれど。(清水哲男)


May 1852016

 悲と魂でゆくきさんじや夏の原

                           葛飾北斎

出句はかの超人的絵師・北斎の辞世(90歳)の句として知られる。江戸後期に活躍した謎多い超弩級のこの絵師について、ここで改めて触れるまでもあるまい。掲出句の表記は、句を引用している多田道太郎にしたがっている。特に上五の表記は、茶目っ気の多い多田さんが工夫したオリジナルであると考えると愉快であるけれど、出典が別にあるのか詳らかにしないが、一般には「人魂で行く気散じや夏野原」と表記されている。いきなり「悲と魂(ひとだま)」と表記されると、いかにも奇人・北斎らしさを感じずにはいられない。「気散じ」ということも北斎にかかると、「人魂」とはすんなり行かず、「悲と魂」で行く夏草繁るムンムンした原っぱということになってしまう。芭蕉の「枯野を駆けめぐる」と、北斎の夏の原をゆく、両者の隔たりには興味深いものがある。「枯野」どころか、ムンムンした「夏の原」の辞世の句には畏れ入るばかりである。多田さんはこの句について、「「気散じ」のくらしはできそうもない」とコメントしている。その言葉に二人が重なってくるようだ。ちなみに北斎の法名は「南牕院奇誉北斎」である。多田道太郎『新選俳句歳時記』(1999)所載。(八木忠栄)




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