娘一家が帰独する。と書いて、「帰独」という文字をつくづくと見る。淋しい字だなあ。




2002ソスN7ソスソス31ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 3172002

 吸殻を炎天の影の手が拾ふ

                           秋元不死男

をきれいにするために、奇特な人が吸殻を拾っているのではない。戦争中から敗戦直後の時期にかけては、煙草は品不足で貴重品だった。戦争中は配給制だったし、戦後一年目に売りだされた「ピース」(一箱7円)などは、日曜祭日にしか販売されなかった。私の父は煙草を喫わないので、配給の煙草を近所にわけて感謝されていたようだが、煙草好きには大変な時代だったろう。投げ捨てられた吸殻を拾い集め(モク拾い)て、一本ずつにまき直して売る商売まで登場したほど。大学の売店では、一箱など高くて買えない学生が多かったので、専売法違反を承知でばら売りまでやっていたという。そんな時代を背景にした句だ。作者が煙草を好んだかどうかは知らないが、好まなくても、道に落ちている吸殻にはひとりでに目がいっただろう。「あ、落ちている」と思った瞬間に、さっと拾った人がいた。商売の人ではなく、普通の人だ。商売の人ならステッキ状の棒の先に針をつけた道具を持っていたので、区別がつくわけだ。いくら煙草が喫いたくても、昼日中に落ちているものを拾うという行為には、屈辱感が伴う。逆に目撃した作者の側から言えば、見てはいけないものを見てしまったという後ろめたさが走る。そこで、その人の手が拾ったのではなく「影の手」が拾ったのだとおさめた。実際には炎天下だから、影はくっきりと濃かっただろうし、影が素早く拾ったように見えたのかもしれない。が、このおさめ方に、私は作者の優しさが投影されていると読んでおきたい。『万座』(1967)所収。(清水哲男)


July 3072002

 撫し子やものなつかしき昔ぶり

                           正岡子規

語は「撫子(なでしこ)」で秋。秋の七草の一つだが、七月には開花するので、現実的には夏の花でもある。前書に「陸奥の旅に古風の袴はきたる少女を見て」とあって、作句は明治二十六年(1893年)だ。女性用の袴には大別して二種類あり、キュロット状のものとスカート状のものとに分けられる。明治中期の東京の女学生の間では、いまの女子大生が卒業式などに着用するスカート状の袴が一般的になっており、それまでのキュロット・スタイルはすたれていた。スカート型(形状から「行灯袴」と言ったようだ)のほうが、裾さばきを気にしないですむので、断然活動的だったからだろう。ところが旅先の陸奥で見かけた少女は、まだ襠(まち)のある古風な袴をはいていた。そこで「ものなつかしき昔ぶり」と詠んだわけだが、近辺に咲いていた撫子と重ね合わせることで、古風で可憐な少女の姿を彷彿とさせている。このときに、作者にとっての少女は、すなわちほとんど撫子そのものなのであったろう。ハイカラな東京の女学生には見られない、凛とした気品も感じられる。句から吹いてくる、涼しい野の風が心地よい。高浜虚子選『子規句集』(1993・岩波文庫)所収。(清水哲男)


July 2972002

 冷淡な頭の形氷水

                           星野立子

かき氷
い日がつづきます。氷水など如何でしょう。私の好きな「宇治金時」。デザイン的に「冷淡な頭の形」を餡で覆って、冷淡に見えないように工夫された(のかどうかは知らないけれど、そんな気がする)発明品だ。掲句は、正直言ってよい出来ではない。でも、後世のために(笑)書いておくべきことがあるので、取り上げた次第。すなわち、立子は主に東京や鎌倉で暮らした人だったから、氷水(かき氷)というと「冷淡」とイメージしていたのだろう。面白い見方とは思うが、何を言っているのかわからない人も大勢いるはずだ。というのも、東京近辺の氷水はシロップを器に入れてから、その上に氷をかく。したがって、「頭」部は写真の餡を取り払った感じになり、氷の色そのものしか見えないので、なるほどまことに冷淡に写る。が、名古屋以西くらいからは、氷をかいた上にシロップを注ぐ。と、見かけはちっとも冷淡じゃなくなる。九州の一部の地方では、まずシロップを入れて氷をかき、その上に重ねてシロップを注ぐという話を聞いたことがあるが、真偽のほどは確認できていない。いずれにしても、俳句を読むときに厄介なのは、こうした地方的日常性や習慣習俗などをわきまえていないと、とんでもない誤読に陥ってしまうケースがよくあるということだ。当サイトでも、かくいう私が何度も誤読してきたことは、読者諸兄姉が既にご承知の通り。ましてや、時代を隔てた句となると、作者の真意をつかむのが余計に難しくなる。誤読もまた楽し、と思ってはみるものの、あまりのそれは恥ずかしい……。ところで写真の宇治金時は、一つ5,500円也。550円の誤記ではありません。何故なのかは、おわかりですよね。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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