平均寿命がのびている。元気な女性は、もはや百歳時代に入っているのではなかろうか。




2002ソスN8ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0282002

 妻留守の完熟トマト真二つに

                           山中正己

子厨房に入るの図。夏の旅行か何かで、妻が家を空けている。トマトは、妻が買って置いておいたものだろう。日数を経て「完熟」してしまっている。柔らかくなっているので、もはやスライスできないのだ。ええいっママよと、乱暴に「真二つに」切って食べることにしたと言うのである。こういうことを句にする人は何歳くらいだろうかと、略歴を見たら、私より一歳年上の同世代人であった。さもありなん……。思わず、ニヤリとしてしまった。日ごろ台所のことを何もしていないので、妻が留守をすると、食事のたびに面倒くさくて仕方がないのだ。句にそくして言えば、ちょっと近所まで新しいトマトを仕入れに行けばよいものを、それからして面倒なのである。冷蔵庫などに食べられるものが残っている間は、不味かろうが何だろうが、それですませてしまう。無精もここに極まれり、というわけだ。もっとも、なかには詩人の天沢退二郎さんのように、毎朝娘さんの弁当を作ってきたという料理好きの人も、同世代には散見されるので、この無精を世代のせいだけにしてはいけないのかもしれないが。そう言えば、原石鼎に「向日葵や腹減れば炊くひとり者」があった。世代やシチュエーションは違っていても、石鼎も作者も、食事とはとりあえず空腹を満たすことと心得ている。この夏にも、完熟トマトを真二つにする男たちは、まだまだ多いだろう。『キリンの眼』(2002)所収。(清水哲男)


August 0182002

 若竹の冷え伝ふなり真昼の手

                           櫛原希伊子

語は「若竹」で夏、「今年竹」とも。皮を脱いで生長した今年の竹は幹の緑が若々しく、加えて節の下に蝋質の白い粉を吹いているので、すぐにわかる。竹林は、昼なお薄暗く、そして涼しい。作者は、若々しいその竹に、そっと手を触れてみた。思わずも、吸い寄せられるように、であろう。ひんやりとした感触……。しかしその「冷え」は、脈々と息づいている生命の確かさにつながっていることがわかる。冷たい健やかさというものもあるのだ。この発見に、私は作者とともに感動する。「若竹の肌は、私の手を伝わって何を言いたかったのか。私はどう感じとればよかったのか」(自註)。自然との触れ合いのなかでは、必ず言葉に尽くせない思いが残る。そういうことも、この句は見事に告げている。同じ作者による「今年竹」の句も引用しておく。こちらは、実に爽快だ。「男ゐて雲ひとつなし今年竹」。真っ青な空に向かってすっくと伸びた若い竹が「男」の姿とダブル・イメージとなっており、しかもそれぞれの輪郭がはっきりとしている気持ちの良さがある。「こうあって欲しいと思う男のイメージ」を詠んだのだと、これも自註より。『櫛原希伊子集』(2000)所収。(清水哲男)


July 3172002

 吸殻を炎天の影の手が拾ふ

                           秋元不死男

をきれいにするために、奇特な人が吸殻を拾っているのではない。戦争中から敗戦直後の時期にかけては、煙草は品不足で貴重品だった。戦争中は配給制だったし、戦後一年目に売りだされた「ピース」(一箱7円)などは、日曜祭日にしか販売されなかった。私の父は煙草を喫わないので、配給の煙草を近所にわけて感謝されていたようだが、煙草好きには大変な時代だったろう。投げ捨てられた吸殻を拾い集め(モク拾い)て、一本ずつにまき直して売る商売まで登場したほど。大学の売店では、一箱など高くて買えない学生が多かったので、専売法違反を承知でばら売りまでやっていたという。そんな時代を背景にした句だ。作者が煙草を好んだかどうかは知らないが、好まなくても、道に落ちている吸殻にはひとりでに目がいっただろう。「あ、落ちている」と思った瞬間に、さっと拾った人がいた。商売の人ではなく、普通の人だ。商売の人ならステッキ状の棒の先に針をつけた道具を持っていたので、区別がつくわけだ。いくら煙草が喫いたくても、昼日中に落ちているものを拾うという行為には、屈辱感が伴う。逆に目撃した作者の側から言えば、見てはいけないものを見てしまったという後ろめたさが走る。そこで、その人の手が拾ったのではなく「影の手」が拾ったのだとおさめた。実際には炎天下だから、影はくっきりと濃かっただろうし、影が素早く拾ったように見えたのかもしれない。が、このおさめ方に、私は作者の優しさが投影されていると読んでおきたい。『万座』(1967)所収。(清水哲男)




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