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August 0282002

 妻留守の完熟トマト真二つに

                           山中正己

子厨房に入るの図。夏の旅行か何かで、妻が家を空けている。トマトは、妻が買って置いておいたものだろう。日数を経て「完熟」してしまっている。柔らかくなっているので、もはやスライスできないのだ。ええいっママよと、乱暴に「真二つに」切って食べることにしたと言うのである。こういうことを句にする人は何歳くらいだろうかと、略歴を見たら、私より一歳年上の同世代人であった。さもありなん……。思わず、ニヤリとしてしまった。日ごろ台所のことを何もしていないので、妻が留守をすると、食事のたびに面倒くさくて仕方がないのだ。句にそくして言えば、ちょっと近所まで新しいトマトを仕入れに行けばよいものを、それからして面倒なのである。冷蔵庫などに食べられるものが残っている間は、不味かろうが何だろうが、それですませてしまう。無精もここに極まれり、というわけだ。もっとも、なかには詩人の天沢退二郎さんのように、毎朝娘さんの弁当を作ってきたという料理好きの人も、同世代には散見されるので、この無精を世代のせいだけにしてはいけないのかもしれないが。そう言えば、原石鼎に「向日葵や腹減れば炊くひとり者」があった。世代やシチュエーションは違っていても、石鼎も作者も、食事とはとりあえず空腹を満たすことと心得ている。この夏にも、完熟トマトを真二つにする男たちは、まだまだ多いだろう。『キリンの眼』(2002)所収。(清水哲男)


August 2382012

 瓜ぶらり根性問はることもなし

                           山中正己

リンピックも終わり、銀座ではメダリスト達のパレードもあった。連日の熱戦を楽しませてもらったものの敗れた選手の立場を思うと「大変だなぁ」と思うことたびたびだった。「メダルをとれずにすみませんでした」と泣きながら謝っていた柔道の選手がいたが国の代表になって「根性を問われる」ことはしんどいことだ。その点、ぶらりとぶら下がって風に吹かれる瓜は気楽なものだ。瓜と言ってもいろいろあるが「ぶらり」なのだから胡瓜かヘチマだろうか。支えの棒や組み立てた棚へ蔓をからませて気が付けば「食べてください」とばかりにおいしそうな実をぶらさげている。「根性を問われる」ことも「叱咤激励」されることもなく身を太らせて気楽なものである。掲句がそんな瓜の在り方に羨ましさを感じている作者の気持ちの反映であるとすると、怠け者の私なぞも同感である。『地球のワルツ』(2012)所収。(三宅やよい)




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