August 052002
少年に夢ジキタリス咲きのぼる
河野南畦
季 語は「ジキタリス(ジギタリス)」で夏、花の形から「きつねのてぶくろ(英名・fox glove)」とも。子供の背丈くらいに花序が伸び、グラジオラスと同じように下から上へと順に咲いていく。したがって、掲句の作者は「少年」の上昇志向の「夢」と結びつけたわけだ。そういうことから言えば、類想句も多そうだけれど、そんなことは私にはどうでもよろしい。作者の心持ちは、少年時代をひたすらに懐かしんでいるのであり、ただそれだけであり、そのべたべたの感傷が私のそれにつながるのであり、それでよいのである。なあんて、急に力瘤を入れることもないのだが、句はまさに私の少年時代の庭に咲いていたジキタリスと夢とを鮮明に思い出させてくれたので、いささか興奮させられたのだった。そうなんだよねえ、そうだったなあ……。頭がくらくらするほどの灼熱の日々にあって、さして力強い姿でもなく、かといってひ弱なそれでもなく、淡々と上へ上へと開花してゆくジキタリス。それを見るともなく見ていた少年の日々の一夏の夢のおおかたは、のぼりつめた花の終わりとともに消えていくのだった。人には、このような批評文にも観賞文にも値しない表現でしか言い表せない共感(逆の「反感」も)という心の働きがある。なかで、センチメンタリズムへの共感が、その最たるものだろう。見渡せば、くどくどしく物の言えない俳句のみが、そんなセンチメンタリズムをとても大切にしている。写真は京都植物園HPより部分借用しました。『俳句の花・下巻』(1997)所載。(清水哲男)
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