広島忌。私の住む三鷹市では、毎年、防災無線が黙祷を呼びかける。むろん長崎忌にも。




2002ソスN8ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0682002

 かくらんに町医ひた待つ草家かな

                           杉田久女

語は「かくらん(霍乱)」で夏。暑気中りが原因で起きる病気の総称である。現在では日射病などの熱中症を指す場合が多いが、古くは命にかかわるようなコレラやチフスの重病も含めていたようだ。よく言われる「鬼の霍乱」は、重病のケースだろう。句意は明瞭。家族の誰かが急に具合が悪くなり、あまりに苦しそうなので、町から医者に来てもらうことにした。病人を励ましながら、医者を待つ時間の何と長くて暑く、心細くもいらいらさせられることか。「町」と「草家」の対比で、作者の家が町から遠い場所にあることが知れる。いまならば確実に救急車を呼ぶところだが、昔の村などではみな、こうしてじいっと医者が来るまで「ひた待つ」しかなかった。そのうちに、やっと看護婦を従えた医者が到着する。あれは不思議なもので、医者が到着するだけで家内の雰囲気がぱっと明るくなり、病人も安堵するので、もう半分くらいは治ったような気持ちになるものだ。少年時代の私も、病人としてその雰囲気を体験したことがある。「助かった」と、心底思ったことであった。久女に、もう一句。「かくらんやまぶた凹みて寝入る母」。しかるべき処置をして、医者が帰っていった後の句だろう。やつれてはいるけれど、すっかり安心して、静かに寝入っている母よ。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


August 0582002

 少年に夢ジキタリス咲きのぼる

                           河野南畦

ジキタリス
語は「ジキタリス(ジギタリス)」で夏、花の形から「きつねのてぶくろ(英名・fox glove)」とも。子供の背丈くらいに花序が伸び、グラジオラスと同じように下から上へと順に咲いていく。したがって、掲句の作者は「少年」の上昇志向の「夢」と結びつけたわけだ。そういうことから言えば、類想句も多そうだけれど、そんなことは私にはどうでもよろしい。作者の心持ちは、少年時代をひたすらに懐かしんでいるのであり、ただそれだけであり、そのべたべたの感傷が私のそれにつながるのであり、それでよいのである。なあんて、急に力瘤を入れることもないのだが、句はまさに私の少年時代の庭に咲いていたジキタリスと夢とを鮮明に思い出させてくれたので、いささか興奮させられたのだった。そうなんだよねえ、そうだったなあ……。頭がくらくらするほどの灼熱の日々にあって、さして力強い姿でもなく、かといってひ弱なそれでもなく、淡々と上へ上へと開花してゆくジキタリス。それを見るともなく見ていた少年の日々の一夏の夢のおおかたは、のぼりつめた花の終わりとともに消えていくのだった。人には、このような批評文にも観賞文にも値しない表現でしか言い表せない共感(逆の「反感」も)という心の働きがある。なかで、センチメンタリズムへの共感が、その最たるものだろう。見渡せば、くどくどしく物の言えない俳句のみが、そんなセンチメンタリズムをとても大切にしている。写真は京都植物園HPより部分借用しました。『俳句の花・下巻』(1997)所載。(清水哲男)


August 0482002

 河童の恋する宿や夏の月

                           与謝蕪村

河童
際に蕪村の前にある情景は、黒々とした沼の上に月がのぼっているだけである。その沼を「河童(かわたろ)」の宿(住み処)と見立てたところから、蕪村独特の世界が広がった。河童が恋しているのは同類の異性とも読めるが、それでは面白くない。彼の思慕する相手が人間と読んでこそ、不思議な気配が漂ってくる。そう読むと、この月も花札に描かれているような幻想的なそれであり、やや赤みを帯びているようにすら思われる。こともあろうに人間を恋してしまった河童の苦しみが、辺り一面に妖気となって立ち上っている……。さて、これから河童はどんな行動に出るのだろうかと、さながら夏の夜の怪談噺のまくらのような句だ。このように読者をすっと手元に引き寄せる巧みな詠みぶりは、蕪村の他の句にもたくさん見られる。ときにあまりにも芝居がかっていて鼻白んでしまうこともあるけれど、掲句ではそのあたりの抑制は効いていると思った。河童の存在については、諸説あってややこしい。いずれにしても、掲句は人々がまだ身近に河童を感じていた時代ならではの作品だ。蕪村のころの読者ならば、ただちに河童の恋の相手が人間だとわかっただろう。絵は小川芋銭の「河童百図」のうち「葭のズヰから(天井のぞく)」。(清水哲男)




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