二十数年ぶりの甲子園大会。名物のカチワリとカレーライスと、名物じゃないビールと。




2002ソスN8ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1782002

 暑き日の證下界に光るもの

                           山口誓子

子は登山をよくしたから、山の句も多い。頂上まで登る途次に、一休みで「下界」を見下ろした。煙草を喫う人だったかどうかは知らないけれど、一服しながら眺める下界の様子は心に沁みる。あんなに低い所から登ってきたという達成感もあるが、それ以上にあるのは、あそこには人々の暮らしがあるのだという感慨だろう。高い山には、まったく暮らしの匂いがない。ないから、ごく自然に「下界」(人間界)と口をついて出てくる。それにしても、ヤケに暑い日だ。何度くらいだろうか。見やっている下界では、ところどころで何かが陽射しを反射して強烈に光っている。あれが暑さの「證(あかし)」だ、道理で暑いわけだと、納得している。山の子だった私には、かつて見慣れた光景だが、下界に「光るもの」と言われて、あらためて気づいたことがある。人が暮らす場所には、必ず「光るもの」があるということ。川や海も光るが、もっと鮮烈に光るものと一緒に人は暮らしているということだ。昔は土蔵の白壁だったり屋根瓦だったり、いまではビルの窓ガラスや車のボディだったりするわけで、地上ではさして気にもとめないでいる「光るもの」が、高い山なる「天界」から見ればまことに鮮やかに写るのである。となれば、あの世には「光るもの」などない理屈だと、妙なことまで思ってしまった。『山嶽』(1990・ふらんす堂文庫)所収。(清水哲男)


August 1682002

 精霊舟草にかくるる舟路あり

                           米沢吾亦紅

語は「精霊舟(しょうりょうぶね)」で秋。送り盆の行事の終わりに、供え物を流すときの舟。多くの歳時記には真菰(まこも)や麦わらで作ると書かれているが、私の故郷(山口県)の旧家あたりでは木造だった。盆が近づいてくると、農作業のひまをみては、少しずつ作り上げていく。立派なのになると、大人が両手でやっと抱えられるほどの大きさだ。本番で転覆しないように、慎重に何度もテストを重ねる。テストは昼間だったので、よく見にいった。我が家は分家で墓がないため、盆とは無縁だったけれど、むろんそのほうがよいに決まっているが、この舟だけは単純に欲しかった。「ウチにもハカがあったらなあ……」などと、ふとどきな妄想を抱きつつ、テストを見ていたものだ。さて、本番の夜。小学校の校庭での盆踊りが終わると、舟たちの出番がやってくる。学校から道一つ隔てた川にみんなで集まり、腰まで水につかった若い衆が、一つ一つ舟や燈籠を受け取っては流していく。さきほどまでの盆踊りの喧騒が嘘のように静まり、誰もが無言で川面を行くものを眺めていた。なかにはすぐに岸辺にひっかかるのもあり、若い衆が長い竹竿で「舟路」に戻してやっていた。句のように、やがて「草にかくるる」舟路だったから、儀式には一時間もかからなかったと思う。終わると、真っ暗な道を大人たちはどこかに飲みに行き、子供は寝るために家に戻った。『新日本大歳時記・秋』(1999)所載。(清水哲男)


August 1582002

 終戦日ノモンハン耳鳴りけふも診る

                           佐竹 泰

戦の日がめぐってきた。今日という日に思うことは、どれをとっても心に重い。その思いを数々の人が語り書きついできており、俳句の数だけでも膨大である。歳時記のページを開くと、一句一句の前で立ち止まることになる。そんなページに掲句を見つけて、はっとした。もしかすると、この句の情景は終戦日当日のそれであったのかもしれないと思ったからだ。むろん当日には「終戦日」という季語はないのだから、実際には何年かを経て詠まれたのだろう。が、詠んだ情景が戦争に敗けた日のことだとするならば、より感動は深まる。あの日は正午から玉音放送があるというので、仕事どころではなかった人が大半だったはずだ。しかし一方で、仕事を休むわけにはいかない人々もいた。作者のような医者も、その一人だ。世の中に何が起きようとも、待っている患者がいるかぎり、診察室を閉じるわけにはいかない。だから、この日もいつものように診察したのである。しかも患者は、ノモンハン参戦で耳鳴りが止まらなくなった人だ。難聴の人にとって、玉音放送などは無縁である。ノモンハン事件は、1939年(昭和十四年)5月から9月にかけて、満州(中国東北)とモンゴルの国境ノモンハンで起こった日ソ両軍の国境紛争だった。日本は関東軍1万5千名を動員したが、8月ソ連空軍・機械化部隊の反撃によって壊滅的打撃を受けた。事件から六年を経て、なおこの人は後遺症に苦しんでいたことになる。さりげない句のようだが、戦争の悲惨を低い声でしっかりと告発している。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)




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