Uターンラッシュのなか、フィニッシュの東京駅で子供につまずいてしまった。ごめん。




2002ソスN8ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1982002

 昼寝びと背中この世の側にして

                           小川双々子

語は「昼寝」で夏。そろそろ、大人の昼寝のシーズンもお終いだ。私は昼寝が大好きだが、涼しくなってくると、さすがに寝る気にはなれなくなる。暑さゆえの疲労感がなくなるからだろう。夜の睡眠とは違って、昼寝には明日の労働力再生産への準備といったような意味合いがない。たいてい、何の目的もない。だから、夜間に眠れなくて深刻に悩む人は多いけれど、昼間に寝られないからといって、気に病む人はいないはずだ。そして、昼寝に入るときの至福感は、入浴のときの「ああ、天国天国」という感じによく似ていると思う。当今流行の言葉で言えば、一種の「癒し」に通じている。作者はたぶん、そういう感覚から「昼寝びと」を見ているのだろう。すなわち、昼寝の当人は「天国」に向いている気持ちなのだが、起きている作者からすると、そういったものでもないのである。俯せにか、横向きにか。無邪気に寝入っている人の気持ちはともかく、見えている「背中」は「この世の側」に残っている。現実が、べったりと背中に貼り付いている。かといって、昼寝の人が故意にこの世に背を向けているのでもない。人の気持ちと現実とが乖離(かいり)している様子を、視覚的にとらえてみせた巧みさに、私は惹かれた。俳誌「地表」(2002年・第415号)所載。(清水哲男)


August 1882002

 流れよる枕わびしや秋出水

                           武原はん女

秋出水
には、しばしば集中豪雨や台風のために洪水に見舞われる。これが「秋出水(あきでみず)」。昔は、一村が流出することも珍しくはなかったという。田舎にいたころ、目覚めたら、土間に下駄がぷかりぷかりと浮いていた経験が、何度かある。水は低きに流れる。なんて小学生の常識だけれど、本当にそうなんだと納得できたのは、あのときだった。句は、大荒れの天候が一段落した後の情景だ。上流からは、実にいろいろなものが流れてくる。東京の多摩川近くに住んでいたことがあるので、私にもよくわかる。折れた大きな木の枝だとか材木だとか、濁流に翻弄されて形も定かでないいろいろなものが……。そんななかに「枕」があるのを、作者は認めた。枕の主の家は、たぶん流失したのだろう。そう思うと「わびしや」と言うしか、他に言葉がないのである。俳句にうるさい人は、この「わびしや」がくどくてうるさいと言うかもしれないけれど……。作者の武原はんは、地唄舞の名手だった。明治三十六年徳島に生まれ、十二歳で大阪の大和屋芸妓学校に入学。三味線・囃子・狂言・能・仕舞などの芸を学んだ後上京し、高浜虚子(俳句)藤間勘十郎・西川鯉三郎(舞踊)に師事。山村流を独自のものとし、代表作に「雪」「鐘の岬」などがある。写真は、特大の「秋出水」に見舞われたドイツのテレビ局ZDFのサイトより借用。『合本俳句歳時記』(1974・角川書店)所載。(清水哲男)


August 1782002

 暑き日の證下界に光るもの

                           山口誓子

子は登山をよくしたから、山の句も多い。頂上まで登る途次に、一休みで「下界」を見下ろした。煙草を喫う人だったかどうかは知らないけれど、一服しながら眺める下界の様子は心に沁みる。あんなに低い所から登ってきたという達成感もあるが、それ以上にあるのは、あそこには人々の暮らしがあるのだという感慨だろう。高い山には、まったく暮らしの匂いがない。ないから、ごく自然に「下界」(人間界)と口をついて出てくる。それにしても、ヤケに暑い日だ。何度くらいだろうか。見やっている下界では、ところどころで何かが陽射しを反射して強烈に光っている。あれが暑さの「證(あかし)」だ、道理で暑いわけだと、納得している。山の子だった私には、かつて見慣れた光景だが、下界に「光るもの」と言われて、あらためて気づいたことがある。人が暮らす場所には、必ず「光るもの」があるということ。川や海も光るが、もっと鮮烈に光るものと一緒に人は暮らしているということだ。昔は土蔵の白壁だったり屋根瓦だったり、いまではビルの窓ガラスや車のボディだったりするわけで、地上ではさして気にもとめないでいる「光るもの」が、高い山なる「天界」から見ればまことに鮮やかに写るのである。となれば、あの世には「光るもの」などない理屈だと、妙なことまで思ってしまった。『山嶽』(1990・ふらんす堂文庫)所収。(清水哲男)




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