August 302002
酔眼の夜を一本の捕虫網
寺井谷子
季語は「捕虫網」で夏。子供たちの夏休みも、もうすぐお終いだ。休みの間振り回した捕虫網の出番も、ぐんと減ってしまう。もっともこれは昔の話で、いまの宿題には昆虫採集など出ないだろう。少なくとも、都会地では無理難題だから……。いささか酔った作者は、帰宅のために夜道を歩いている。ふと前方に、なにやら白いものがゆらゆらと浮かびながら進んでいるのに目がとまった。なんだろうか。目を凝らして見ようとするのだが、酔眼ゆえか、はっきりとしない。まさか人魂の類ではないとしてなどと、しきりに思いをめぐらすうちに、はたと「捕虫網」であることに気がついたのである。真っ暗な夜道だから、持っている人の姿は見えない。白い網だけが、ただ揺れながら漂っている。酔眼のなかに、真っ白くくっきりとしたものが動いている図は、想像するだに幻想的だ。季節的には夏の盛りというよりも、晩夏の幻想世界としたほうが似合うだろう。こういう情景ともしばしお別れかと、逝く夏を惜しむ気持ちも重なって、いよいよ前を行く真っ白いものが鮮明さを増してくるようだ。『笑窪』(1986)所収。(清水哲男)
June 262009
捕虫網白きは月日過ぎやすし
宮坂静生
タモは水中に差し入れて魚などを掬う。こちらの簡略なものは子供の小遣いでも買えたが、捕虫網は柄が長く袋の部分が大きくて網目が細かくできているので比較的高価。小遣いで買うのは大変だった。振り回して破れると母に繕ってもらう。何度も繕っているうちに捕虫網はだんだん小さくなっていった。捕虫網の細かい網目を通して見えてくる故郷はいつも夏の風景だ。自分が子供だったころ、玄関の傘立てなんかに捕虫網はいつもさされてあり、長じて、自分が子供を育てるようになってからは子供の捕虫網が替わりに傘立てにささっていた。捕虫網から捕虫網へ。網目の白から見えてくる風景は永遠に夏だ。『現代の俳人101』(2004)所収。(今井 聖)
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