パ・リーグは勝負あった。セは、まだまだだろう。ヤクルト、がんばれ。追いかけろ。




2002ソスN8ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 3082002

 酔眼の夜を一本の捕虫網

                           寺井谷子

語は「捕虫網」で夏。子供たちの夏休みも、もうすぐお終いだ。休みの間振り回した捕虫網の出番も、ぐんと減ってしまう。もっともこれは昔の話で、いまの宿題には昆虫採集など出ないだろう。少なくとも、都会地では無理難題だから……。いささか酔った作者は、帰宅のために夜道を歩いている。ふと前方に、なにやら白いものがゆらゆらと浮かびながら進んでいるのに目がとまった。なんだろうか。目を凝らして見ようとするのだが、酔眼ゆえか、はっきりとしない。まさか人魂の類ではないとしてなどと、しきりに思いをめぐらすうちに、はたと「捕虫網」であることに気がついたのである。真っ暗な夜道だから、持っている人の姿は見えない。白い網だけが、ただ揺れながら漂っている。酔眼のなかに、真っ白くくっきりとしたものが動いている図は、想像するだに幻想的だ。季節的には夏の盛りというよりも、晩夏の幻想世界としたほうが似合うだろう。こういう情景ともしばしお別れかと、逝く夏を惜しむ気持ちも重なって、いよいよ前を行く真っ白いものが鮮明さを増してくるようだ。『笑窪』(1986)所収。(清水哲男)


August 2982002

 俳優は待つのも仕事秋扇

                           小倉一郎

語はもちろん「秋扇(あきおうぎ)」だが、こういう季語があるところにも、俳句の面白さがある。プロの俳人諸氏は不感症になっているかもしれないけれど、初心者にはハッとさせられる新鮮な季語だろう。日常一般には使わない言葉だとしても、たしかに「秋扇」としか言いようのない扇のあり方がある。朝方は涼しくても、昼間は暑くなるかもしれないと、用心のためにバッグにしのばせて出かけたりする。私などは、この時期の「夜の」野球見物にすら、必ず鞄に入れて持参する。立派な扇子などではなくて、宣伝に貰ったダサい団扇だけれど(笑)。役に立とうが立つまいが、とりあえず安心のために持っていく。物それ自体としては何の変哲もないのに、秋という季節の言葉をかぶせることによって、誰にでも思い当たる「扇」のありようが、忽然として出現してくるという季語だ。敷衍して、もっと涼しくなってきたときの忘れ去られた扇のことも言う。だから、女性を詠み込む句には、間違っても「秋扇」を使ってはいけないと、誰かに教えられたことがあった。句の作者は、映画かテレビのロケ現場で、とにかく出番を待っている。暑い日になり、持参した扇が役に立っているのだ。それはそれでよいとして、待てどもいっこうに出番がまわってこないことに苛々している。もしかすると、忘れられちゃったのではないのか。すなわち「秋扇」のように……。この句で思い出したことがある。若き日の編集者時代に、紅茶一杯で、私を十二時間も待たせてくれた有名女性作家がいたことを、ね。「待つのも仕事」。小倉さん、あのときにしみじみと私も、そう思ったことでした。小倉一郎句集『俳・俳』(2000)所収。(清水哲男)


August 2882002

 吹き起こる秋風鶴をあゆましむ

                           石田波郷

波郷句碑
正な句だ。元来が、「鶴」という鳥には気品が感じられる。その鶴を「吹き起こる秋風」のなかに飛ばすのではなく、地に「あゆま」せることによって、気品はいよいよ高まっている。毅然たる姿が目に浮かぶ。「鶴」は波郷の主宰誌の名前でもあり、その出立に際しての意気が詠み込まれている。自然に吹き起こる秋風のような、我らの俳句活動への熱情。やがては大空へ飛翔する鶴を、いま静かに野に放ち歩ませたのである。ところで、句の「秋風」はどう発音するのだろうか。私は、なんとはなしに「シュウフウ」と読んできた。「アキカゼ」よりも荘重な感じがするからである。しかし、さきごろ藤田湘子さんから『句帖の余白』(角川書店)を送っていただき、次の一文に触れて、波郷の本意を思いやれば「アキカゼ」と読むべきだと思った。「この句は昭和十二年作。この年『鶴』を創刊したからそのことと関連づけて観賞されている。事実、そうである。したがって新雑誌を持つ、そこを活動の場として俳句運動を展開する、という晴ればれとした気概が波郷には漲っていたにちがいない。そうした雄ごころの表現にはアキカゼの開かれた明快な韻がふさわしい。一部の人はこの年日中戦争が始まって前途への暗いおもいがあったから、荘重な調べのシュウフウのほうがいい、と言う。けれども当時はまだ戦争による逼迫感はほとんどなかった。新雑誌発行の意気込みのほうがずっとつよかったはずだ」。こう読むと、鶴の歩みはよほど軽やかに見えてくる。写真は、東京調布市の深大寺開山堂横にある句碑。碑の姿と漢字の多用(掲句は何通りかの表記で伝えられてきた)からして、製作者は「シュウフウ」と読ませたがっているようだ。『石田波郷全集』(角川書店)所収。(清水哲男)




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