August 312002
かなかなや故郷は風の沙汰なりし
細谷てる子
季語は「かなかな」で秋、「蜩(ひぐらし)」とも。あの鳴き声には、郷愁や旅愁を誘われる。わけもなく、センチメンタルな気分になる。いま、ここで「かなかな」が鳴いているように、「故郷」でも鳴いていた。この刻にも、同じように鳴いているだろう。その故郷を離れてから、ずいぶんと久しい。疎遠になった。誰かれの消息も、もはや「風の沙汰(便り)」にぼんやりと聞こえてくるくらいだ。そんな思いをめぐらしているうちに、作者には故郷そのものが幻だったようにすら思えてきたのだ。あの土地で生まれ育ったなんて、実際にはなかったことなのではあるまいか。いや、きっとそうなのだろう。と、だんだん「かなかな」の声が高まってくるにつれ、幻性も高まってくる。「風の沙汰なりし」と止めたのは、たとえば「風の沙汰となり」と押さえるのとは違って、故郷それ自体を風の便りの中身みたいにあやふやな存在として掴んでいるからだ。古来「かなかな」の句はたくさん詠まれてきたが、ちょっとした抒情の味付け的役割を担わされている場合が大半であり、その点で掲句は異彩を放っていると印象づけられた。故郷は遠くにありて、ついに幻と化したのである。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)
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