今週も綱渡り。あっちにもこっちにも不義理ばかり。いつになったら隠居できるのか。




2002ソスN9ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 0292002

 廃船のたまり場に鳴く夏鴉

                           福田甲子雄

廃船
書に「石狩川河口 三句」とある。つづく二句は「船名をとどむ廃船夕焼ける」と「友の髭北の秋風ただよはせ」だ。三句目からわかるように、作者が訪れたのは暦の上では夏であったが、北の地は既に初秋のたたずまいを見せていた。石狩川の河口には三十年間ほどにわたり、十数隻の木造船が放置されていて、一種の名所のようになっていたという(1998年に、危険との理由で撤去された)。この「たまり場」の廃船を素材にした写真や絵画も、多く残されている。かつて荒海をも乗り切ってきた船たちが、うち捨てられている光景。それだけでも十分に侘しいのに、鴉どもが夕暮れに寄ってきては、我関せず焉とばかりに鳴き立てている。しかし、その無神経とも思える鳴き声が、よけいに作者の侘しさの念を増幅するのだった。そのうちにきっと、野放図な鴉の声もまた、廃船の運命を悼んでいるようにも聞こえてきたはずである。この句の成功の要因を求めるならば、鳴いているのが「夏鴉」だからだ。「秋鴉」としても現場での実感に違和感はなかったろうが、いわゆる付き過ぎになって、かえって句柄がやせ細ってしまう。したがって、たとえばここしばらくのように、実感的に秋とも言え夏とも言える季節の変わり目で、写生句を詠むときの俳人は「苦労するのだろうな」などと、そんなことも思わせられた掲句である。写真は北海道テレビのHPより、廃船を描く最後の写生会(1998年6月)。『白根山麓』(1988・邑書林句集文庫版)所収。(清水哲男)


September 0192002

 撫で殺す何をはじめの野分かな

                           三橋敏雄

日は、立春から数えて二百十日目。このころに吹く強い風が「野分(のわき・のわけ)」だ。ちょうど稲の開花期にあたるので、農民はこの日を恐れて厄日としてきた。「二百十日」も「厄日」も季語である。さて、句の「撫で殺す」は造語だろうが、「誉め殺し」などに通じる使い方だ。誉めまくって相手を駄目にするように、撫でまくることで、ついには相手をなぎ倒してしまうのである。強風は、いきなり最初から強く吹くのではない。「何をはじめ(きっかけ)」とするかわからないほどに、ひそやかな風として誕生するわけだ。だから、最初のうちは万物を撫でるように優しく吹くのであるが、それが徐々に風速を増してきて、やがては手に負えないほどの撫で方にまで生長してしまう。まったく「何をはじめ」として、かくのごとくに風が荒れ狂い、野のものを「撫で殺す」にいたったのか。ここで作者はおそらく、野分に重ね合わせてみずからの御しがたい心の状態を思っている。たとえば、殺意だ。はじめは優しく撫でていた気分が、いつの間にか逆上していき、相手を押しのめしたくなるそれに変わってしまうことがある。この不可解さは、すなわち「何をはじめの狂気かな」とでも言うしかない性質のものだろう。『眞神』(1973)所収。(清水哲男)


August 3182002

 かなかなや故郷は風の沙汰なりし

                           細谷てる子

語は「かなかな」で秋、「蜩(ひぐらし)」とも。あの鳴き声には、郷愁や旅愁を誘われる。わけもなく、センチメンタルな気分になる。いま、ここで「かなかな」が鳴いているように、「故郷」でも鳴いていた。この刻にも、同じように鳴いているだろう。その故郷を離れてから、ずいぶんと久しい。疎遠になった。誰かれの消息も、もはや「風の沙汰(便り)」にぼんやりと聞こえてくるくらいだ。そんな思いをめぐらしているうちに、作者には故郷そのものが幻だったようにすら思えてきたのだ。あの土地で生まれ育ったなんて、実際にはなかったことなのではあるまいか。いや、きっとそうなのだろう。と、だんだん「かなかな」の声が高まってくるにつれ、幻性も高まってくる。「風の沙汰なりし」と止めたのは、たとえば「風の沙汰となり」と押さえるのとは違って、故郷それ自体を風の便りの中身みたいにあやふやな存在として掴んでいるからだ。古来「かなかな」の句はたくさん詠まれてきたが、ちょっとした抒情の味付け的役割を担わされている場合が大半であり、その点で掲句は異彩を放っていると印象づけられた。故郷は遠くにありて、ついに幻と化したのである。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)




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