G黷ェn句

September 0592002

 夢殿にちょっとすんでた竃馬

                           南村健治

語は「竃馬(かまどうま)」で秋。「いとど」とも言い、芭蕉『おくのほそ道』に「海士の屋は小海老にまじるいとどかな」と出てくる。湿ったかまどの周辺や土間などでよく見かけたものだが、いまではどこに棲息しているのだろうか。コオロギに似ているが、翅がなく鳴かない。とにかく、地味で淋しそうな虫だ。句は、そんな竃馬が、なんと、かの有名な法隆寺の「夢殿」に「ちょっとすんでた」ことがあるという。何故わかったかといえば、この虫が作者に語って聞かせたからである(笑)。そんじょそこらの竃馬とは虫の格が違うんだぞと、一寸の虫にも五分のプライドか……。まさか嘘ではなかろうが、得意げに髭を振って話している姿を想像すると、それこそ「ちょっと」可笑しい。このときに、むろん作者は他ならぬ人間界を意識しているわけで、そう言えば、こうした俗物感覚で物を言う人がいることに思い当たる。当人は有名な外国の都市に「ちょっと住んでた」だとか、著名人を「ちょっと知ってる」だとかと、しきりに「ちょっと」とさりげなさを強調するのだけれど、この「ちょっと」が曲者だ。謙虚に見せて、実は押し付けになるケースが多い。そうした押し付けに気がつかない人の自慢話を聞いていると、そのうちに「ちょっと」可哀想な気持ちにもなってくる。『大頭』(2002)所収。(清水哲男)


October 04102006

 木曽節もいとどのひげの顫へかな

                           中村真一郎

曽節は木曽谷一帯でうたわれる盆踊唄だが、♪木曽のナァー中乗りさん、木曽の御岳さんはナンジャラホイ・・・・有名な歌詞で全国で知られている。「いとど」は竈馬(かまどうま)のことで秋の季語。「かまどむし」「おかまこおろぎ」とも呼ばれる。「竈」なんて、今や若い人はもちろん中年だって知らないだろう。ご飯を炊いたカマドのことです。落語に登場する「へっつい」がこれ。「へっつい幽霊」「へっつい泥棒」の「へっつい」なんて見たこともない若い噺家が高座で、笑いをとっているのも妙。よく間違われる「こおろぎ」とは別種であって、脚は長いが、翅もないし、鳴かない。あまり冴えない虫である。かつて私の生家の竈のかげの暗がりや納屋の湿ったすみっこから、ヒョンヒョンという感じで何匹もとび出してきて、びっくりした経験がある。もちろん、生家でもとっくに竈の姿なんぞどこへやら。真一郎は師の堀辰雄が亡くなった初盆にこの句を信州で詠んだらしい。おそらく追分の油屋旅館にいて師を偲んでいたのだろう。旅館内かどこかで誰かがうたう木曽節が、聴くともなく聴こえてきたけれども、秋の宿はうら寂しい。木曽節は谷間に反響する寂しい唄だ。そんなところへ、どこからともなく侘しげないとどがヒョンヒョンとやってくる。こまかく顫えるひげのうら寂しさに着目した。木曽節もいとどももの悲しく、心細いばかりの師亡き信州の寒々とした秋の夜である。真一郎には『俳句のたのしみ』という一冊もある。私家版『樹上豚句抄』(1993)所収。(八木忠栄)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます