September 142002
邯鄲や酒断ちて知る夜の襞正木浩一季語は、ル・ル・ルと美しい声で鳴く秋の虫「邯鄲(かんたん)」。「邯鄲の夢」の故事から命名された。この鳴き声を人生のはかなさに引きつけた感性は、優しくも鋭い。「酒断ちて」は、大病ゆえの断酒と句集から知れる。幸か不幸か、私には断酒に追い込まれた体験はないのだが、句はよくわかる(ような気がする)。おのれの酩酊状態の逆を考えれば、さもありなんと想像できる(ような気がする)からだ。酔いは、人を感性の狭窄状態に連れてゆく。感覚的視野が狭くなり、その結果として、素面のときに見えていたり感じられていたはずのことの多くが抜け落ちてくる。よく言えば雑念が吹っ飛ぶのだし、悪く言えば状況に鈍感になる。このときに、些事に拘泥したり誇大妄想風になったりと、人により現れ方は違うけれど、根っこは同じだ。いずれにしても、日常的に自分の存在を規定している諸条件から、幻想的に抜け出てしまうのである。これが、私なりの酒の力の定義だが、この力が働かない状況に急に置かれると、掲句のように「夜の襞(諸相)」が実によく感じられるだろう。それも、日ごろ酒を飲まない人には感じられない「襞」のありようまでが……。こんなにも夜は深くて多層的で、充実していてデリケートであることを、はじめて覚えた驚き。酒を断たれた哀しみを邯鄲の鳴き声に託しつつも、作者はこの新鮮な驚きに少しく酔っている。『正木浩一句集』(1993)所収。(清水哲男) September 132002 人間に寝る楽しみの夜長かな青木月斗秋の「夜長」。ようやく暑い夜の寝苦しさから解放されて、一晩通して眠れるようになった。この時期にこの句を読むと、はらわたに沁み入るようなリアリティを感じる。とくに会社勤めの人たちにとっては、そうだろう。私もサラリーマン時代には、寝る前にひとりでに「寝れば天国」とつぶやいていたものだった。若かったから、むろん寝ない楽しみもあったけれど、くたくたに疲れて眠る前の至福感もまた、格別だった。江戸期の狂歌に「世の中に寝るほど樂はなかりけり浮世の馬鹿は起きて働く」があり、これは昼間も寝ている怠け者の言い草を装っていながら、眠らないで頑張る人たちへの痛烈な風刺になっている。なぜ、そんなに頑張るのか。わずかな蓄財のために、親方に鼻面をひきまわされながらも頑張って、それでお前の一生はいいのかと辛辣だ。当時の私はこの狂歌を机の前に貼り付けて、何もかもぶん投げてしまいたいと切に願っていたが、ついにそういうことにできずに、今日まで来てしまった。大正から昭和初期にかけて活躍した作者は、大阪船場の商人で、貧乏人ではないし、諸般において給料取りの感覚とは隔たっていたろうが、秋の「夜長」を寝る楽しみとしたところを見ると、やはり「浮世の馬鹿」の一員として働いていたにちがいない。掲句は、豪放磊落の俳人といわれた月斗が、ふうっと深く吐いた吐息のような句だったと思える。『月斗翁句抄』(1950)所収。(清水哲男) September 122002 新米のひかり纏いて炊きあがる青木規子新
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