第30回吉祥寺秋まつり。いざ、神輿連合渡御を見に行かん。ま、空との相談ですけど。




2002ソスN9ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 1592002

 反逆す敬老の日を出歩きて

                           大川俊江

駄な「反逆」かもしれない。でも、私は老人扱いされるのはイヤだ。ましてや、おしきせの祝う会などには出たくない。普段通りに、いやそれ以上に、外出してあちこち歩き回ってやるのだ。「敬老」だなんて、冗談じゃないよ。と、意地の一句である。このような句が、私にはようやく実感としてわかる年齢になってきた。まったくもつて、腹立たしい。以下、最近の「日本経済新聞」(2002年9月7日付)に書いた拙文を、多少削って再録しておきます。……それにしても「敬老の日」とは、まことに奇怪にして押しつけがましいネーミングだ。というのも、「敬老」の主体は老人以外の人々のことだから、この日の主体は、実は老人ではないのである。つまり、国が若い人々に老人を敬えと教え、押しつける日ということだ。以前は「としよりの日」といった。それが「老人の日」に変わり、昭和四十一年から「敬老の日」に変更された。かつては、ちゃんと老人主体の祝日だったわけだ。これならば、老人が妙な違和感を覚えないでもすむだろう。できることなら国民投票でもやって、老人主体の日に戻してもらいたい。だいたいが、国家の音頭で「尊敬」などと言いはじめて、ロクなことがあったためしはないのである。それが証拠に、現今の老人に対する国の政策は、とても敬老精神から発しているとは思えない。年金問題、しかり。医療費問題、しかりではないか。事は、大きな問題だけに限らない。景気のよい時には、この日に地方自治体がお祝い金を出していたが、いまでは式典や慰安会だけになってしまった。そのうちに、経費節減でこれらもなくなるかもしれない。金の切れ目が縁の切れ目というわけか。敬老精神を持つべきは、いまや第一に為政者の側なのである。……。『新日本大歳時記・秋』(1999)所載。(清水哲男)


September 1492002

 邯鄲や酒断ちて知る夜の襞

                           正木浩一

語は、ル・ル・ルと美しい声で鳴く秋の虫「邯鄲(かんたん)」。「邯鄲の夢」の故事から命名された。この鳴き声を人生のはかなさに引きつけた感性は、優しくも鋭い。「酒断ちて」は、大病ゆえの断酒と句集から知れる。幸か不幸か、私には断酒に追い込まれた体験はないのだが、句はよくわかる(ような気がする)。おのれの酩酊状態の逆を考えれば、さもありなんと想像できる(ような気がする)からだ。酔いは、人を感性の狭窄状態に連れてゆく。感覚的視野が狭くなり、その結果として、素面のときに見えていたり感じられていたはずのことの多くが抜け落ちてくる。よく言えば雑念が吹っ飛ぶのだし、悪く言えば状況に鈍感になる。このときに、些事に拘泥したり誇大妄想風になったりと、人により現れ方は違うけれど、根っこは同じだ。いずれにしても、日常的に自分の存在を規定している諸条件から、幻想的に抜け出てしまうのである。これが、私なりの酒の力の定義だが、この力が働かない状況に急に置かれると、掲句のように「夜の襞(諸相)」が実によく感じられるだろう。それも、日ごろ酒を飲まない人には感じられない「襞」のありようまでが……。こんなにも夜は深くて多層的で、充実していてデリケートであることを、はじめて覚えた驚き。酒を断たれた哀しみを邯鄲の鳴き声に託しつつも、作者はこの新鮮な驚きに少しく酔っている。『正木浩一句集』(1993)所収。(清水哲男)


September 1392002

 人間に寝る楽しみの夜長かな

                           青木月斗

の「夜長」。ようやく暑い夜の寝苦しさから解放されて、一晩通して眠れるようになった。この時期にこの句を読むと、はらわたに沁み入るようなリアリティを感じる。とくに会社勤めの人たちにとっては、そうだろう。私もサラリーマン時代には、寝る前にひとりでに「寝れば天国」とつぶやいていたものだった。若かったから、むろん寝ない楽しみもあったけれど、くたくたに疲れて眠る前の至福感もまた、格別だった。江戸期の狂歌に「世の中に寝るほど樂はなかりけり浮世の馬鹿は起きて働く」があり、これは昼間も寝ている怠け者の言い草を装っていながら、眠らないで頑張る人たちへの痛烈な風刺になっている。なぜ、そんなに頑張るのか。わずかな蓄財のために、親方に鼻面をひきまわされながらも頑張って、それでお前の一生はいいのかと辛辣だ。当時の私はこの狂歌を机の前に貼り付けて、何もかもぶん投げてしまいたいと切に願っていたが、ついにそういうことにできずに、今日まで来てしまった。大正から昭和初期にかけて活躍した作者は、大阪船場の商人で、貧乏人ではないし、諸般において給料取りの感覚とは隔たっていたろうが、秋の「夜長」を寝る楽しみとしたところを見ると、やはり「浮世の馬鹿」の一員として働いていたにちがいない。掲句は、豪放磊落の俳人といわれた月斗が、ふうっと深く吐いた吐息のような句だったと思える。『月斗翁句抄』(1950)所収。(清水哲男)




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