朝鮮が真っ二つに割られてから半世紀。帝国主義的なこの冷酷にも思いがいたる。合掌。




2002ソスN9ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 1892002

 秋雨の瓦斯が飛びつく燐寸かな

                           中村汀女

 籾摺り
は1935年(昭和十年)、東京大森での作。昔の台所は田舎ではもちろん、瓦斯(ガス)が来ているような都会のモダンな家でも、総じて北側など暗い場所にあった。ましてや、外は秋の雨だから、陰気な雰囲気である。「秋雨の瓦斯」とは、コックをひねると出てくる瓦斯の、普段よりもいっそう暗く湿ったような感じを言っているのだろう。タイミングを計って燐寸(マッチ)を擦ると、炎が瓦斯に燃え移るというよりも、句のように「瓦斯が飛びつ」いてくるというのが実感だ。着火したら、手早く燐寸を遠ざけねばならない。慣れているはずの主婦といえどもが、緊張する一瞬である。当時は恵まれた環境にあった主婦のビビッドな感覚を伝えた掲句も、もはや郷愁を呼ぶ台所俳句の一つになってしまった。自動点火のガス器具しか知らない世代には、よくわからないかもしれない。瓦斯といえば、最近読んだ宇多喜代子『わたしの歳事ノート』(富士見書房・2002)に、明治期(三十七年)の句が引用されていた。「瓦斯竃料理書もある厨哉」。新聞の懸賞に入選した俳句だそうだが、手放しの自慢ぶりが、いまとなっては可笑しくも哀しい。時代は変わった。台所も……。画像はTOKYO GASのHPより。句は『合本俳句歳時記・新版』(1974・角川書店)などに所載。(清水哲男)


September 1792002

 点睛の瞳を穿つ栗の虫

                           照井 翠

事に充実した「栗」を、人間の「瞳」に見立てた句。なるほど、熟れてきて毬(いが)からのぞいている様子は、確かにつぶらな瞳に似ている。それも「点睛」というほどなのだから、ほれぼれするような美しい栗だ。が、そのつややかな瞳を、情け容赦もなしに「虫」が「穿つ(うがつ)」てしまっていた。栗にしてみれば、決して画竜点睛を欠いたのではなく、点睛は完璧に成ったのにもかかわらず、思わぬことから全身がむしばまれてしまったのだ。この無念さは、九仞の功を一簣に虧くどころではないだろう。他方、虫は虫でおのれの本能に従ったまでのこと。おのれの日常生活を、自然にまっとうしただけのことなのである。作者は栗に身贔屓しながらも、一方的に虫を責められない事情をあわせて書いている。無惨だとか理不尽だとかとは言わずに、すっと「栗の虫」と止めたところに、それを感じる。あまり勝手な拡大解釈は慎むべきかもしれないが、私に掲句は、人間界のありようの比喩とも受け取れた。お互いにおのれの本分を忠実にまっとうすることで、どちらかがもろくも壊れてしまう……。たとえば、現今のリストラ事情には、資本という名の「栗の虫」が出てくる。『水恋宮』(2001)所収。(清水哲男)


September 1692002

 帰る家ありて摘みけり草の花

                           小島 健

語は「草の花」で秋。野草には、秋に花の咲くものが多い。ちなみに、俳句で「木の花」といえば春の季語だ。名も知れぬ花を摘みながら、こういうことをするのも「帰る家」があるからだと、ふっと思った。それだけのことでしかないのだが、考えてみれば、私たちの生活のほとんどはそれだけのことで占められている。そうした些事に、作者のように心を動かす人もいるし、くだらないことだと動かさない人もいる。どちらが幸福だろうか。最近読んだフランスの作家フィリップ・ドルレムの『しあわせの森をさがして』(廣済堂出版・2002)は、ちょうどそのことを主題にした本だった。「幸福であるのは当たり前のことではない。僕にはただ、多くのチャンスがあり、それが通り過ぎる間にそれを名づけたいという願いがある。芝居では、人々は桜の園が競売に付されるのを待ち望み、雪のような花々を懐かしむ言葉に出会うことになる。僕としては、それが売り物になる前に自分の桜の園を歌いたいものだ。僕は、人生からちょっと引っ込んだところ、まさに時間の流れからはずれて立ち止まっている」(山本光久訳)。このドルレムの言い方に従えば、掲句は「自分の桜の園」を歌っている。ささやかな「幸福」を、とても大切にしている。そして俳句は、いつだって「自分の桜の園」を大事にしてきた文芸だ。だからこそ、声高な「戦争」や「革命」や「希望」や「絶望」の幾星霜を生きのびてこられたのだと思う。『木の実』(2002)所収。(清水哲男)




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