衣服や持ち物に貼る小さい反射板をもらった。夜道で光りがあたるとキラキラ光ります。




2002ソスN10ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 04102002

 遥かに秋声父母として泣く父母の前

                           中村草田男

語は「秋声(しゅうせい)」、「秋の声」とも。秋になると物音も敏感に感じられ、雨風の音、物の音、すべてその響きはしみじみと胸に染み入る。まことに抽象的な季語で、なかなか外国の人には理解できないだろうが、私たちにはわかる。少なくとも、わかるような気はする。前書に「遺骨を携へて帰郷せし香西氏夫妻」とあり、愛弟子であった香西照雄の次男が事故死したときの句だ。逆縁の悲しみは、筆舌に尽くしがたいものである。その尽くしがたさが多少ともわかるのは、やはり同じ人の子の親だからであり、悲嘆に暮れている「父母の前で」、作者夫妻も「父母として」涙をとどめえなかった……。このときに「秋声」とは、もはや「遥かに」遠くなってしまった故人の元気な声のことでもあろうし、遺骨を前にした衝撃で「遥かに」退いてしまったような現実のあれこれの音のことでもあるだろう。一読、胸の内がしいんと白くなるような絶唱である。先日、草田男・三女の弓子さんにお会いする機会を得た。その折りにいただいた御著書『わが父 草田男』(1996・みすず書房)に、掲句が引かれている。この本が出ていることは知っていたけれど、私は私の草田男像が崩れることを恐れて、今日まで手にしてこなかった。弓子さんにもこのことは率直に申し上げたが、最初の短い文章「風の又三郎」を読んだだけで、大いなる杞憂であったことを知る。わが不明に恥じ入るばかりだ。(清水哲男)


October 03102002

 枯色も攻めの迷彩枯蟷螂

                           的野 雄

語は「蟷螂(とうろう)」で秋。カマキリのこと。世界中には1800種類もいるというが、日本には10種類ほどのようだ。カマキリに保護色はないはずだから、句の「枯蟷螂」とは褐色のカマキリのことだろう。落葉の上や枯れた草陰などにいると、それらと体色とが「迷彩」になって、なかなか姿がわからない。肉食ゆえ、そんな姿で息を殺すようにして、通りかかる獲物を待ちかまえているのだ。これぞ、まさに「攻め」の態勢。枯れた色をしているからといって、命まで枯れているのではない。人間だってそうなんだぞ、枯れてきたからといって馬鹿にしたものじゃないんだぞ。と、古稀を迎えた作者は、このカマキリの攻めの姿勢に大いに共感し、勇気づけられているのだと思う。枯色から来る常識的なイメージをくつがえしてみせたところが、掲句のミソだ。作者はよほどカマキリの攻撃性が好きなのか、句も多い。「目がピカソ枯野を蹴って蟷螂出る」と、これまた勇躍としている句だが、たまには自分が威嚇され攻められかかって「眼づけの蟷螂の目を寝て思う」と神妙になったりもしている。『斑猫』(2002)所収。(清水哲男)


October 02102002

 台風一過小鳥屋の檻彩飛び交ふ

                           大串 章

風一過というと、まず真っ青な空が目に浮かぶ。「やれやれ」と安堵して、ひとりでに目が空を泳いでしまう。そんな句が(たぶん)多いなかで、作者の視点はユニークだ。真っ暗だった街に生気がよみがえってきた様子を、「小鳥屋の檻」のなかで「飛び交ふ」鳥たちの色彩に託して詠んでいる。普段ならば、檻の中の小鳥は必ずしも生気を示しているとは言えないけれど、台風で周囲が暗かっただけに、とりわけて「彩」が目立つのだ。ところでこの小鳥たちは、平常どおりの動きをしているのだろうかと思った。というのも、掲句が載っている『合本俳句歳時記・第三版』(1997)の隣りに、加藤憲曠の「一樹にこもる雀台風去りし後」があったからである。雀の生態は知らないが、この句の雀たちは、明らかにおびえている。身を寄せ合って、なお警戒していると写る。野生の本能的な身構えだ。比べて、飼われている鳥たちはどうなのだろうか。まったく野生が失われているとは考えられないから、やはり天変地異には敏いのではあるまいか。だとすれば、台風後のこの鳥たちは、いわば狂ったように飛び回っているのかもしれない。美しい狂気。「鳥篭」と言わず、敢えて「檻」としたのは、そのことを表現するためだと読むと、句の景色はよほど変わってくる。(清水哲男)




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