明日の句会に備え蒲団を干し、しっかりとご飯を食べ、ぐっすりと眠る。これが必勝法。




2002ソスN10ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 05102002

 秋晴や太鼓抱へに濯ぎもの

                           上野 泰

洗濯機
もかもが明るい爽やかな「秋晴」。こんな日には、シーツなどの大きなものも、まとめて洗濯したくなる。1960年(昭和三十五年)の句だから、電気洗濯機で洗ったのか、あるいは昔ながらの盥で洗ったのかは、微妙なところで推測しがたい。写真は当時出回っていた「手動ローラーしぼり機付き洗濯機」(日立製作所)だが、洗濯槽も小さかったし、この「しぼり機」で大きいものをしぼるのは無理だ。やはり、盥でじゃぶじゃぶと濯いだのではあるまいか。また、そのほうが「秋晴」の気分にはよく似合う。で、洗い上げたものを庭の物干場まで持っていくわけだが、何度も往復するのは面倒なので、いっぺんに持てるだけ抱えていく。細い廊下なども通らなければならないから、ちょうど「太鼓」を抱えるときと同じ要領で、洗濯物を両腕で肩幅くらいに細く挟むようにして抱えていくことになる。太鼓でもそうだが、まっすぐ前はよく見えないし、抱えているものに脚も当たる。何も抱えていないとすれば、ちょっとヨチヨチ歩きに似た格好だ。「太鼓抱へ」という言い方が一般的だったのかどうかは知らないけれど、言い得て妙。こうでも言うしか、大量の洗濯物を運ぶ姿は形容できないだろう。しかも秋晴に太鼓とくれば、これはもう小さな祝祭気分すら掻き立ててくる。今日あたりは、全国的に「太鼓抱へ」のオンパレードとなるにちがいない。『一輪』(1965)所収。(清水哲男)


October 04102002

 遥かに秋声父母として泣く父母の前

                           中村草田男

語は「秋声(しゅうせい)」、「秋の声」とも。秋になると物音も敏感に感じられ、雨風の音、物の音、すべてその響きはしみじみと胸に染み入る。まことに抽象的な季語で、なかなか外国の人には理解できないだろうが、私たちにはわかる。少なくとも、わかるような気はする。前書に「遺骨を携へて帰郷せし香西氏夫妻」とあり、愛弟子であった香西照雄の次男が事故死したときの句だ。逆縁の悲しみは、筆舌に尽くしがたいものである。その尽くしがたさが多少ともわかるのは、やはり同じ人の子の親だからであり、悲嘆に暮れている「父母の前で」、作者夫妻も「父母として」涙をとどめえなかった……。このときに「秋声」とは、もはや「遥かに」遠くなってしまった故人の元気な声のことでもあろうし、遺骨を前にした衝撃で「遥かに」退いてしまったような現実のあれこれの音のことでもあるだろう。一読、胸の内がしいんと白くなるような絶唱である。先日、草田男・三女の弓子さんにお会いする機会を得た。その折りにいただいた御著書『わが父 草田男』(1996・みすず書房)に、掲句が引かれている。この本が出ていることは知っていたけれど、私は私の草田男像が崩れることを恐れて、今日まで手にしてこなかった。弓子さんにもこのことは率直に申し上げたが、最初の短い文章「風の又三郎」を読んだだけで、大いなる杞憂であったことを知る。わが不明に恥じ入るばかりだ。(清水哲男)


October 03102002

 枯色も攻めの迷彩枯蟷螂

                           的野 雄

語は「蟷螂(とうろう)」で秋。カマキリのこと。世界中には1800種類もいるというが、日本には10種類ほどのようだ。カマキリに保護色はないはずだから、句の「枯蟷螂」とは褐色のカマキリのことだろう。落葉の上や枯れた草陰などにいると、それらと体色とが「迷彩」になって、なかなか姿がわからない。肉食ゆえ、そんな姿で息を殺すようにして、通りかかる獲物を待ちかまえているのだ。これぞ、まさに「攻め」の態勢。枯れた色をしているからといって、命まで枯れているのではない。人間だってそうなんだぞ、枯れてきたからといって馬鹿にしたものじゃないんだぞ。と、古稀を迎えた作者は、このカマキリの攻めの姿勢に大いに共感し、勇気づけられているのだと思う。枯色から来る常識的なイメージをくつがえしてみせたところが、掲句のミソだ。作者はよほどカマキリの攻撃性が好きなのか、句も多い。「目がピカソ枯野を蹴って蟷螂出る」と、これまた勇躍としている句だが、たまには自分が威嚇され攻められかかって「眼づけの蟷螂の目を寝て思う」と神妙になったりもしている。『斑猫』(2002)所収。(清水哲男)




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