October 182002
雁わたし猫はなま傷舐めてゐる
渡部州麻子
季語は「雁わたし」で秋。「青北風(あおきた)」とも呼ばれ、ちょうど雁がわたってくるころに吹くので、雁わたし(雁渡し)と言う。手元の歳時記を見ると、陰暦八月ごろに吹く北風のこととある。いまは、陰暦の九月だ。仕事で天気の様子と毎日つきあっているからわかるのだが、東京あたりでは例年、陽暦十月の今頃になると、北風の吹く日が多くなってくる。これがおそらく「雁わたし」だろうと、私は勝手に決めつけています。こいつが吹き始めると、朝夕はめっきり冷え込んでくる。日中いかに良く晴れて暖かくても、吹く風にどこか冬の気配が入り交じってくる。そんなある日に、猫が「なま傷」を舐めているという情景。喧嘩でもしてきたのだろう。自分の傷を自分で癒しているわけだが、健気でもあり寂しくも写る情景だ。寒い季節がやってくると、とくに猫は不活発になる。そう思えば、この負け戦でこの猫の活発な時期も終わりになるのかもしれない。そしてこのことは、「猫が」ではなく「猫は」の「は」によって、他の生きとし生けるものすべてに通じていく。いまのうちに「なま傷」は舐めておかなければ、みずからの力で癒しておかなければ……。来たるべき冬に対する、いわば本能的な身繕い、身構えの姿勢の芽生えを、さりげなく演出してみせた佳句である。今年度俳句研究賞候補作品「耳ふたつ」五十句の内。「俳句研究」(2002年11月号)所載。(清水哲男)
August 292014
城壁一重に音絶ゆ山塊雁渡し
花田春兆
雁渡しは雁が渡って来る陰暦八月ごろ吹く北風で青北風(あをぎた)ともいう。車椅子生活の作者は海外旅行も随分したらしい。万里の長城へも行ったとあり、その際得た句である。句は漢詩調で城壁に在る時の感慨を吐露している。森閑たる一重に伸びる長城と取り囲む山塊の空には雁渡しの風がびょうびょうと吹いている。心肝寒からしめる光景に「立ち向かう覚悟」のような呟きが聞こえる。<正念場続く晩年寒の鵙><帰る雁へ托す願ひの一つあり><初鴉「生きるに遠慮が要るものか」>がある。人間遠慮が要るもんかが中々これで難しい。『喜憂刻々』(2007)所収。(藤嶋 務)
September 252015
雁渡し壺に満たざる骨拾ふ
大井東一路
雁渡しは雁の渡ってくるころ吹く北風で青北風(あおぎた)とも言う。人は寒さを感じ着る物を次第に厚くしてゆく。そんな季節のある日、身内を無くし茫然としたまま黙々とその骨を拾っている。こんなにも小さな存在ではあるが、夢多く熱き思いを共に過ごした夜々を思い出す。あの笑顔や泣き顔の様は掛替えのない宝物となって胸に収まる。その顔も現世からは消え去った。夢多き人生を送って欲しかった。共に過ごした暮らしは小さく地道な日常だった。こうして拾う骨も壺には満たない。青く透明な空と海の狭間に何の摂理か雁が渡ってゆく。心が寒い。思い出は胸に骨は骨壺に。「朝日俳壇」(「朝日新聞」2013年9月30日付)所載。(藤嶋 務)
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