October 192002
秋の虹消えてしまえばめし屋の前
松本秋歩
秋の虹は色も淡く、はかなく消えてしまう。寂寥感に誘われる。「めし屋」は洒落たレストランなどではなくて、ただ「めし」を食いに行くためだけの店だ。定食屋の類である。間借りをしていると、大家さんの台所は使わせてもらえないので、三食とも外食ということになる。昔は学生はもとより、働いている人にも間借り人が多かった。コンビニ一つあるわけじゃなし、食えるときに食っておかないと、夜は空きっ腹を抱えて寝なければならない。作者もまた、食えるときに食っておこうと表に出てみると、思いがけなくも虹がかかっていた。ちょっと得したような気分になったが、しかし見ている間に消えてゆき、いつものめし屋の前にいた。しばしの幻にうっとりとしかけた心が、すっとがさつな現実に舞い戻った瞬間をとらえている。汚れた暖簾をくぐれば、変哲もない秋刀魚定食や鯖の味噌煮定食が待っている。「めし屋」といえば、私が学生時代によく通ったのは、京都烏丸車庫の前にあった「烏丸食堂」だった。下宿から五分ほど。十人も入れば満杯の小さな店で、安かった。だが、金欠になってくると安い定食も食えなくなる。そんなときは、仲よくなった店のおねえさんに小声で頼んで、丼一杯の飯だけにしてもらう。そいつに、タダの塩を振りかけて食っていると、おねえさんがそっと「おしんこ」をつけてくれたりして、なんだか人情映画の登場人物みたいになったときもあったっけ。おねえさん、元気にしてるかなあ。そんなことも思い出された掲句でありました。『現代俳句歳時記』(1989・千曲秀版社)所載。(清水哲男)
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