昨日の答え。月は楕円軌道を運行しているので、地球から近くなったり遠くなったり…。




2002ソスN10ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 21102002

 釣月軒隣家の柿を背負ひをり

                           星野恒彦

釣月軒
蕉の生家(三重県上野市)の奥の離れが「釣月軒(ちょうげつけん)」。粋な命名だ。『貝おほひ』執筆の書斎であり、その後も帰省するたびに立ち寄っている。生家とともに当然のように観光名所になっているが、私は行ったことなし。ただ、写真はそこら中に溢れているので、行かなくても、だいたいの様子はわかったような気になっていた。しかし、掲句ではじめて「隣家(となり)」に大きな柿の木があることを知り、私の中のイメージは、かなり修正されることになる。まさか芭蕉の時代の柿の木ではないにしても、柿を植えるような庭のある隣家と接していたと思えば、にわかに往時の釣月軒のたたずまいが人間臭さを帯びてきたからだ。観光用や資料用の写真では、私の知るかぎり、この柿の木は写っていない。「背負ひをり」と言うくらいだから、この季節だと写り込んでいてもよさそうなものだが、写っていたにしても、すべてトリミングで外されているとしか思えないのだ。なぜ、そんな馬鹿なことをするのだろう。釣月軒であれ何であれ、建物は周囲の環境とともにあるのであって、それを写さなければ情報の価値は半減してしまうのに……。俳句は写真ではないけれど、作者はただ見たままにスナップ的に詠んだだけで、軽々と凡百の写真情報を越えてしまっている。釣月軒を見たこともない私に、そのたたずまいが写真よりもよく伝わってくる。「背負ひをり」はさりげない表現だが、建物のありようをつかまえる意味において、卓抜な措辞と言うべきだろう。写真は、よくある釣月軒紹介写真の例。『麥秋』(1992)所収。(清水哲男)


October 20102002

 萩の家わずかな水を煮ていたり

                           下山光子

冠に秋と書いて「萩」。古来、秋を代表する花とされてきた。『枕草子』に「萩、いと色深う枝たをやかに咲きたるが、朝露に濡れてなよなよと広ごり伏したる……」とあるように、凛とした姿ではない。「たをやか」「なよなよ」とした風情が、この季節のどことなく沈んだような空気に似合うのである。そんな萩を庭や垣根に咲かせている家は、たとえば薔薇の庭を持つ家などとは違って、とてもつつましく写る。住んでいる人を知らなくても、暮らしぶりまでもがつつましいのだろうと思われてくる。作者もまた、単に通りがかっただけなのだろう。「煮ていたり」とは書いているが、実際に台所を見たのではなく、つつましやかな「萩の家」の風情から来た想像だと、私には読める。こういう家では、こういうことが行われているのが相応しいとイメージして、詠んだのだと思う。水はふつう「煮る」とは言わず、「沸かす」と言う。が、そこをあえて「煮る」と言ったのは、「沸かす」の活気を押さえたかったからに違いない。「わずかな水」なのだから、この人は一人暮らしだ。自分のためだけの水を、ひとりひっそりと煮ている姿を想像して、作者は「萩の家」の風情に、いつそうの奥行きを与えたのである。『句読点』(2002)所収。(清水哲男)


October 19102002

 秋の虹消えてしまえばめし屋の前

                           松本秋歩

の虹は色も淡く、はかなく消えてしまう。寂寥感に誘われる。「めし屋」は洒落たレストランなどではなくて、ただ「めし」を食いに行くためだけの店だ。定食屋の類である。間借りをしていると、大家さんの台所は使わせてもらえないので、三食とも外食ということになる。昔は学生はもとより、働いている人にも間借り人が多かった。コンビニ一つあるわけじゃなし、食えるときに食っておかないと、夜は空きっ腹を抱えて寝なければならない。作者もまた、食えるときに食っておこうと表に出てみると、思いがけなくも虹がかかっていた。ちょっと得したような気分になったが、しかし見ている間に消えてゆき、いつものめし屋の前にいた。しばしの幻にうっとりとしかけた心が、すっとがさつな現実に舞い戻った瞬間をとらえている。汚れた暖簾をくぐれば、変哲もない秋刀魚定食や鯖の味噌煮定食が待っている。「めし屋」といえば、私が学生時代によく通ったのは、京都烏丸車庫の前にあった「烏丸食堂」だった。下宿から五分ほど。十人も入れば満杯の小さな店で、安かった。だが、金欠になってくると安い定食も食えなくなる。そんなときは、仲よくなった店のおねえさんに小声で頼んで、丼一杯の飯だけにしてもらう。そいつに、タダの塩を振りかけて食っていると、おねえさんがそっと「おしんこ」をつけてくれたりして、なんだか人情映画の登場人物みたいになったときもあったっけ。おねえさん、元気にしてるかなあ。そんなことも思い出された掲句でありました。『現代俳句歳時記』(1989・千曲秀版社)所載。(清水哲男)




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