四時起きがだんだん辛くなってきた。まだ真っ暗だし、窓を開けると寒いのですよ。




2002ソスN10ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 23102002

 草原に人獣すなおに爆撃され

                           阪口涯子

季句。かつての大戦中の作品で、往時の作者は中国の大連にいた。作句年度は古いけれど、この世に戦争があるかぎり、掲句は古びることはないだろう。戦争は「人」のみを殺すのではない。「獣」もまた、殺されていく。殺されるという意味では、人も獣も同じ位置にある生き物なのであって、ひとくくりに「人獣」でしかない。果てしなく広がる草原の上空に、突如爆撃機の黒い編隊が現れ、容赦なく大量の爆弾を投下しはじめる。といっても、敵が何もない草原を攻撃するはずもないから、そこには町があり工場や学校があり、そして基地がある。むろん、人もいて獣もいる。それら攻撃対象を、まるで何もない場所であるかのようにアタックする感覚には、眼下に展開する風景はただの「草原」にしか見えないだろうし、攻撃される側にしても、その無防備に近い状態において、さながら「草原」に身をさらしているように感じられるということだ。すなわち「すなおに」爆撃されるしかないのである……。このときに「すなおに」とは、何と悲しい言葉だろうか。苛烈な現実を声高に告発するのではなく、現実を透明で無音の世界に引き込んでいる。この句には、爆撃の閃光もなければ轟音もないことに気がつく。しかし、現実として人獣は確かに死んでいくのである。今日、作者の涯子(がいし)を知る人は少ないだろうが、高屋窓秋の盟友であり、新興俳句の旗手であった。もっと読まれてよい俳人だ。『北風列車』(1950)所収。(清水哲男)


October 22102002

 秋霖や右利き社会に諾へり

                           大塚千光史

マウス
語は「秋霖(しゅうりん)」で、秋雨よりも寂しい語感を含む。さて、作者は左利きだ。古来、洋の東西や人種の差異を問わず、左利きの人は一割くらいいるそうだ。最近は左利きの人をよく見かけるようになったけれど、これは子供の頃に親が強制して右利きに直さなくなったからで、左利き人口が特に増えてきたわけではないらしい。一割しかいないのだから、当然のように、この世は「右利き社会」になっている。鋏だとかドアのノブ、あるいは駅の自動改札口など、多くのものが右利き用にできている。パソコンのキーボードにしても、両手を使うから右も左も関係ないように見えて、実はある。右側にしかないenter(もしくはreturn)キーの位置だ。このキーは、何かを決定するときに押す。決定は、利き手で下したいのが人情だろう。したがって、わざわざ右側に配置してあるというわけだ。万事がこのようだから、左利きの人は物理的心理的に不満を感じながらも、右利き社会に「諾(うべな)」つて、つまり服従して暮らすほかはないわけだ。句はそんな我が身を慨嘆しているが、具体的なきっかけがあっての嘆きのはずだと、いろいろと考えてみた。雨と左利きとの関係で、考えられる道具としては傘が浮かんでくる。はじめは傘を持ちながらノブを回すようなときの不便さかとも思ったが、これは右利きにしても不便なので、根拠としては薄弱だろう。で、思いついたのが、傘をたたんで建物に入るときのことだった。たいていの人は、傘を巻くか、きちんと巻かないまでもボタンくらいは止めるだろう。やってみるとわかるように、左手で巻くのはとても難しい。雨のたびにこの不便さを感じさせられるのだから、右手社会に服従させられていると恨んで当然である。写真は、アメリカの通販カタログで見つけた左利き用のマウス。全体として左側に傾斜している。『木の上の凡人』(2002)所収。(清水哲男)


October 21102002

 釣月軒隣家の柿を背負ひをり

                           星野恒彦

釣月軒
蕉の生家(三重県上野市)の奥の離れが「釣月軒(ちょうげつけん)」。粋な命名だ。『貝おほひ』執筆の書斎であり、その後も帰省するたびに立ち寄っている。生家とともに当然のように観光名所になっているが、私は行ったことなし。ただ、写真はそこら中に溢れているので、行かなくても、だいたいの様子はわかったような気になっていた。しかし、掲句ではじめて「隣家(となり)」に大きな柿の木があることを知り、私の中のイメージは、かなり修正されることになる。まさか芭蕉の時代の柿の木ではないにしても、柿を植えるような庭のある隣家と接していたと思えば、にわかに往時の釣月軒のたたずまいが人間臭さを帯びてきたからだ。観光用や資料用の写真では、私の知るかぎり、この柿の木は写っていない。「背負ひをり」と言うくらいだから、この季節だと写り込んでいてもよさそうなものだが、写っていたにしても、すべてトリミングで外されているとしか思えないのだ。なぜ、そんな馬鹿なことをするのだろう。釣月軒であれ何であれ、建物は周囲の環境とともにあるのであって、それを写さなければ情報の価値は半減してしまうのに……。俳句は写真ではないけれど、作者はただ見たままにスナップ的に詠んだだけで、軽々と凡百の写真情報を越えてしまっている。釣月軒を見たこともない私に、そのたたずまいが写真よりもよく伝わってくる。「背負ひをり」はさりげない表現だが、建物のありようをつかまえる意味において、卓抜な措辞と言うべきだろう。写真は、よくある釣月軒紹介写真の例。『麥秋』(1992)所収。(清水哲男)




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