今日から本来の神無月。出雲では神々による縁結びの相談が…。離婚率の高さも話題に。




2002ソスN11ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 05112002

 秋の淡海かすみて誰にもたよりせず

                           森 澄雄

天気。「淡海(おうみ)」は「近江」であり、淡水湖を意味するから、作者は琵琶湖畔にいる。秋の好天は、透明な冷気を伴って清々しい。大気も澄み渡っていて、はるか彼方までクリアーに遠望できる。しかし、琵琶湖のような大きな湖ともなると、立ち上る水蒸気が多量のために、かえって遠目が利かなくなるときがある。まるで春の霞がかかったように、ぼおっとかすんでしまう。そんな情景だろう。作者の立つ岸辺は秋たけなわでありながら、指呼の間には爛漫の春があるように感じられる……。陶然たる気分になるというよりも、何か異界に遊んでいるような不思議な心持ちなのだ。「誰にもたよりせず」で、作者がこの地に長く逗留していることが知れる。少なくとも、二泊三日程度の短い旅ではないだろう。元来ならば友人知己のだれかれに、旅情を伝える「たより」をするところだけれど、ついに「誰にも」していない。あまりの淡海の自然の素晴らしさに心を奪われて、なんだか人間界とはひとりでに切れてしまったような気持ちである。寂しくもなければ、孤独とも感じない。大いなる自然のなかに溶け込んでいる至福とは、このような境地を指すのではなかろうか。私には漂泊への憧憬はないのだけれど、掲句には漂泊への誘いが含まれているようにも思われた。『浮鴎』(1973)所収。(清水哲男)


November 04112002

 此秋は何で年よる雲に鳥

                           松尾芭蕉

が間近の元禄七年(1694年)九月二十六日、大坂清水での作句。詞書に「旅懐」とある。「何で年よる」の「何で」の口語体に、ただならぬ身体の不調感がよく表われていて、いたましい。「此(この)秋は」、どういうわけで、こんなにも急に老け込んだ感じがするのだろうか。「何故に」ではなく「何で(やろか)」とくだけた物言いのなかに、自問自答の孤独性が滲み出る。誰にせよ、自問自答に文語を使用することはしないだろう。文語はあくまでも他者を意識した表現なのだから、つまり他所行きの言葉なのだから、だ。そして、この「何で」は、皆目見当がつかないという意味でもない。ある程度の心当たりは、これまた誰にでもあるのが普通だ。芭蕉の場合には、愛弟子の人間関係のこじれを、放っておけば関西蕉門の分裂につながりかねないと、自ら調停に乗りだして失敗したことが言われている。「座の文芸」には、参加者の人間関係によって盛り上がりもすれば崩壊もするという生臭さがつきまとう。このときの芭蕉には、今で言えば相当にストレスの溜まった状態がつづいていたわけで、それが身体の弱りをなお促進したと考えてよいだろう。こういうときには、人間は「何で(こうなのか)」と精神的にも天を仰ぐしかない。で、そこには「雲に(消え逝く)鳥」があったと結んだ下五文字について、「寸々の腸(はらわた)をしぼる」と述べている。苦吟もここに極まり、最後の力を振り絞って振り出したような鳥の孤影への飛躍的表現が、「何で」の個人的な思いの切実さに、濃い輪郭と深い客観性とを与えることになった。(清水哲男)


November 03112002

 うごく大阪うごく大阪文化の日

                           阿波野青畝

来が「明治節(明治天皇の誕生日)」だった祝日だけに、戦後できた「文化の日」の句には、まともに向き合わず斜に構えたものか、あるいは逆にひどく生真面目にとらえたものがほとんどだ。掲句はどちらかといえば前者に属するが、といって、この日をさげすんだり茶化しているわけではない。「『文化の日』も大いに結構や。が、東京みたいなすましとる文化は好かん」と、言外に言っている。「うごく大阪うごく大阪」のリフレインに、猥雑なほどに活気のある大阪の庶民文化を称揚し、また大阪人のそうした躍動するエネルギーこそが文化の源泉なのだと言っている。ダイナミックかつ不敵な異色の一句として、印象に残る句だ。東京の人は逆立ちしても、こういうふうには詠めないだろう。話は変わるが、「文化とは何か」という難しい問題は別にして、私たちはなぜ文化という言葉が好きなのだろうか。見渡せば、文化国家、文化都市、文化村、文化人、文化勲章、文化功労、あげくは文化住宅、文化センター、文化風呂、文化シャッター(これは商品名)、文化食品、文化包丁、文化鍋と枚挙にいとまがない。あまり知られていないようだが、戦後に魚の干物をセロファンに包んで売ってヒットした「文化干し」もあるし、キリスト教布教を目的に発足したことは知られていないが、東京では有名な「文化放送」なるラジオ局もある。とにかく本日は「文化の日」です。何だかよくわかりませんが、日本人としては「文化バンザイ」と三唱しておこうではありませんか。『新日本大歳時記・秋』(1999)所載。(清水哲男)




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