アンケートに答えたので「暮しの手帖」300号記念号が届く。花森安治のセンス腐らず。




2002ソスN11ソスソス12ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 12112002

 冬蝶の日向セルロイドの匂ひ

                           櫛原希伊子

春日和の庭に、どこからともなく蝶が飛んできた。成虫のまま越年する蜆蝶などもいるから不思議ではないけれど、さすがに飛び方は弱々しい。蝶もはかなげなら、蝶を招いた「日向」もはかなげである。見ているうちに、ふっと作者は「セルロイドの匂ひ」を感じたと言うのである。セルロイドはその昔、玩具の人形などによく使われたから、とくに女の子にとっては匂いも忘れられないだろう。青い目の人形は「アメリカ生まれのセルロイド」という歌もあった。余談ながら、男の子の玩具にはブリキ製が多かったので、匂いではなくて触感として残っている。でも、男の子にもセルロイドの匂いがわかっているのは、下敷きなどの文房具に使用されていたためだ。さて、掲句のユニークなところは、冬蝶のいる日向全体の雰囲気をよく伝えるために、視覚ではなく嗅覚をもって押さえたところだと思う。それも実際の場所には存在しない記憶の中の匂いだから、こちらも冬蝶のいる日向のようにはかなげである。はかなげではあるが、しかし、多くの人が懐しくよみがえらすことのできる匂いという意味では、強い説得力を持つ。すなわち、人には臭覚を通じたほうが、情景がよりよく見えてくるということも起きるということ。五官の区別は便宜的なものであって、私たちは目だけで物をみたり、鼻だけで匂いをかいだりしているのではないということですね。『きつねのかみそり』(2002)所収。(清水哲男)


November 11112002

 西へ行く日とは柿山にて別る

                           山口誓子

子の山の句ばかりを集めたアンソロジー『山嶽』(1990・ふらんす堂)の編者後書きに、こうある。「美濃に、富有柿を一山に植え盡した柿山がある。ここの山は日だまりで、十二月に入っても硬質で大粒の柿を樹に成らせる。葉が落ち盡した裸木に赤い美事な実は枯れ一面の中に鮮かである」(松井利彦)。想像しただけで、見事な情景が浮かんでくる。実際に、見てみたくなった。よく晴れた日に、作者が見ているのは午後の遅い時間だろう。句は「別る」と押さえていて、既に日が没し(かかっ)た状態とも読めるが、そうではあるまい。「別る」は、別れることが決まっている切なさをあらかじめ先取りしているのであり、それゆえに眼前の一刻の景色を大切にする気持ちの現われを表現している。なだらかな山の上の数えきれないほどの柿の実に、まだまんべんなく日があたっていて、その朱色がいっそう輝いている時間なのだ。しかし、秋の日はつるべ落とし。間もなく「西へ行く日」とは別れねばならない。そして同時に、この柿山の美しさとも……。なお、深読みに過ぎるかもしれないが、初見のときの私には「日と」が「ひと」とのダブルイメージとなって、染み入ってきた。いずれにせよ、極めて格調の高い名句と言えよう。(清水哲男)


November 10112002

 吊るされて鴨は両脚揃へけり

                           土肥あき子

語は「鴨」で冬。食用に、両脚をくくられ吊るされている鴨だ。既に臓器は取りだされ、毛もむしられて丸裸にされている。両足を「揃へ」てくくったのは人間であるが、作者には、そうは見えなかった。こんなにも残酷で無惨な仕打ちを受けた後にあっても、鴨は最後の力を振り絞って、おのれの矜持を保つかのようにみずからがみずからの意志で脚を揃えたと見た。いや、そう見たかったのだ。なんという優しさだろう。一寸の虫にも五分の魂。掲句には、この言葉と呼応しあう弱者への深い共感が込められている。句を読んで、すぐに思い出したことがある。小学生の頃、学校から戻ると父が庭で焚火をしていた。焚火それ自体は珍しくもなかったが、見てしまったのだった。私が毎日餌をやったり運動をさせたりしていたニワトリの一羽が、焚火の上に逆さ吊りにされ、毛をむしられている姿を……。途端に、頭の中がくらくらっとなり、真っ白になった。夕飯はすき焼きだったけれど、母からいくらすすめられても「食べたくない」と頑強に言い張って、一口も食べなかった。この句を読むまでは思いもしなかったけれど、あのときのニワトリもまた、みずからの意志で両脚をきちんと整えていたに違いないと思えてくる。いや、やはりそう思いたいのだ。三十羽ほどいたなかで、ヤツがいちばん元気で恰好いい雄鶏だった。「朝日新聞」(2002年11月9日付夕刊)所載。(清水哲男)




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