奥歯が抜けた。もはや奥歯に物の挟まった言い方はできないのであろうか。そりゃ困る。




2002ソスN11ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 19112002

 折詰に鯛の尾が出て隙間風

                           波多野爽波

語は「隙間風」で冬。「鯛の尾が出て」いる「折詰(おりづめ)」が配られているのだから、何か祝いの席なのだろう。大広間だ。いまのように暖房装置が発達していなかったころの日本間は、本当に寒かった。坐る場所によっては、小さな隙間から容赦なく風が入り込んでくるので辛かった。なにしろ「寸分の隙間うかがふ隙間風」(杉田久女)というくらいなものである。たとえすぐ傍らに火鉢が置いてあっても、何の役にも立ちはしない。運悪く、作者はそんな席に着いている。寒くてかなわん、早く終わってくれ。そんなときに限って、祝辞やら挨拶やらがいつ果てるともなくつづいていく。目の前の仕出し弁当も、どんどん冷たくなっていくようだ。やがてこの冷えきった折詰を開いてつつくのかと思うと、いよいよ寒さが募ってくる。出されたお茶などは、とっくのとうに冷えきっている。ときどき非難するような目で、隙間風の入ってくる方を見やったりする作者の姿までもが浮かんできて滑稽だが、当事者にしてみれば切実な問題なのだ。折詰の隙間からは、鯛の尾。部屋の隙間からは、冷たい風。この対比が、なおさらに滑稽感を誘ってくる。このように、気の毒だけれど滑稽に思えることは、他にもよくあることだ。それを短い言葉で的確に表現できる様式は、俳句をおいて他にはないだろう。『花神コレクション・波多野爽波』(1992)所収。(清水哲男)


November 18112002

 さやうなら笑窪荻窪とろゝそば

                           摂津幸彦

語は「とろゝ(とろろ)」で秋だが、冬にも通用するだろう。物の本によれば、正月に食べる風習のある土地もあるそうだから、「新年」にも。ま、しかし、作者はさして季節を気にしている様子はない。「荻窪(おぎくぼ)」は東京の地名。「さやうなら」と別れの句ではあるけれど、明るい句だ。「さやうなら」と「とろゝそば」の間の中七によっては、陰々滅々たる雰囲気になるところを、さらりと「笑窪(えくぼ)荻窪」なる言葉遊びを配しているからである。つまり作者は、さらりとした別れの情感を詠みたかったということだ。たとえば、学生がアパートを引き払うときのような心持ちを……。このときに「笑窪荻窪」の中七は言葉遊びにしても、単なる思いつき以上のリアリティがある。ここが摂津流、余人にはなかなか真似のできないところだ。笑窪は誰かのそれということではなくて、作者の知る荻窪の人たちみんなの優しい表情を象徴した言葉だろう。行きつけの蕎麦屋で最後の「とろゝそば」を食べながら、むろん一抹の寂しさを覚えながらも、胸中で「さやうなら」と呟く作者の姿がほほえましい。元スパイダーズの井上順が歌った「お世話になりました」の世界に共通する暖かさが、掲句にはある。蕎麦屋のおじさんも「じゃあ、がんばってな」と、きっとさらりと明るい声をかけたにちがいない。いいな、さらりとした「さやうなら」は。『陸々集』(1992)所収。(清水哲男)


November 17112002

 鶫焼しんじつ骨をしやぶるのみ

                           泉田秋硯

の句で鮮烈なのは「しやぶる」という行為だ。最近の日本人はまず、しゃぶることをしなくなったと思う。骨付きの肉をしゃぶる人などは、小さな子供を含めてもいなくなったのではなかろうか。私自身も、いつしかしゃぶることをしなくなっている。放送の仕事のために、よく喉飴は舐めるけれど、幼かったときのようにしゃぶったりはしない。そういう構えで食物を口に入れたのは、二十代も前半くらいまでだった。あのころは句のように、なんでも「しんじつ」しゃぶるか、しゃぶりたいのに見栄を張って我慢したかの、どちらかだった。いまどき「鶫焼(つぐみやき)」と言われると、なんだか高級料理みたいに思えるかもしれないが、なんのことはない、ごく普通の屋台にあった焼鳥である。それを「しんじつ」しゃぶっていたのは、たいがい安サラリーマンか学生だった。「つけ焼きにしているのだが何しろ肉は殆どない。焼鳥と大きな声で注文したものの、『これ何じゃい』という代物である。骨をしゃぶって『たれ』の味を舌で味わうだけのものであった。昔は日本もそれほど貧しかった」と、作者は近著(自句自解シリーズ『泉田秋硯集』牧羊新社)で書いている。よく、わかる。ここに掲句を持ちだしたのは、かといって、いわゆる飽食の時代を非難したりするつもりからではない。素朴に、「しやぶる」ことを忘れてしまった人間の未来のありように興味と関心を抱いたからだ。「しんじつ」、感性や思考に影響が出てくるだろう。いや、もう出始めているのかもしれない。季語は「鶫焼」=「焼鳥」なので、冬の「焼鳥」に分類しておく。『月に逢ふ』(2001)所収。(清水哲男)




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