クリスマス・カラーが街に溢れている。この魅力は研究に値するぞと、眺めてはいるが。




2002ソスN11ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 29112002

 原点に戻らぬ企業返り花

                           的野 雄

語は「返り花(帰り花)」で冬。小春日和の暖かい日がつづくうちに、どういう加減からか季節外れの桜や桃の花が咲くことがある。新聞の地方版に、写真入りで載ったりする。そんな花を見かけて、すぐさま「企業」のありように思いが飛んだところが哀しい。会社が倒産かそれに近い状態に陥り、三度も痛い目にあった私には、あながち突飛な連想とも思えない。しごく真っ当な飛躍と写る。もっとも、ここで作者は自分の属している企業のことを言っているのか、それとも企業一般のことを指しているのかはわからない。が、どちらでもよいだろう。企業は生き物だから、それ自体で刻々と変化していく。「原点」の構築に携わったのはまぎれもない人間だけれど、そうした人間の初発の精神とは関わりなく、法人格としての企業は人間を置き去りにしてまでも、みずからの延命に執心する。もっと言えば、企業は資本の論理以外の何ものも栄養にすることはできないので、そうならざるを得ない。いつまでも原点などにこだわっていては、身が持たないのである。そうした企業のたまさかの繁栄を、人間である作者は狂い咲きの花のようだと言っている。さらには、どんな人間の力をもってしても「原点に戻らぬ企業」の強圧に、なお唯々諾々と従っているおのれを哀しみ、自嘲してもいる。しかし、この不況の世の中。束の間であれ「返り花」が見られる企業は、まだよしとしなければ……。『斑猫』(2002)所収。(清水哲男)


November 28112002

 易水に根深流るる寒さ哉

                           与謝蕪村

くなった友人の飯田貴司が、酔っぱらうとよく口にしたのが「風蕭蕭(しょうしょう)として易水(えきすい)寒し、壮士一たび去ってまた還らず」という詩句だった。忘年会の予定を手帖に書き込んでいて、ふっと思い出した。「易水」は、中国河北省西部の川の名前だ。燕(えん)のために秦の始皇帝を刺そうとした壮士・荊軻(けいか)が、ここで燕の太子丹と別れ、この詩を詠んだという。このことを知らないと、掲句の解釈はできない。蕪村の句には、こうした中国古典からの引用が頻出するので厄介だ。さて、飯田君は後段の壮士の決然たる態度に惚れていたのだろうが、蕪村は前段の寒々とした光景に注目している。同じ詩句に接しても、感応するところは人さまざまだ。当たり前のようでいて、このことはなかなかに興味深い。作者の荊軻にしてみれば、むろん飯田君的に格好良く読んでほしかった。だが、蕪村は後段のいわば「大言壮語」を気に入ってはいなかったようである。だから、庶民の生活臭ふんぷんたる「根深(ねぶか)」を、わざと流している。壮士に葱は似合わない。せっかく見栄を切っているのに、舞台に葱が流れてきたのではサマにならない。この句については、古来その「白く寒々とした感じ(萩原朔太郎)」のみが高く評価されてきたが、そうだろうか。それだけのことなのだろうか。むしろ荊軻の生き方批判に力点の置かれた句ではないのかと、これまたふっと思ったことである。(清水哲男)


November 27112002

 揚りたる千鳥に波の置きにけり

                           後藤夜半

語は「千鳥」で冬。『万葉集』の「淡海の海夕波千鳥汝が鳴けばこころもしのにいにしへ思ほゆ」以来の昔より、詩歌や絵画の素材として愛されてきた。この句には様式化された花鳥画を見るような趣があり、非常に雅で美しい。ここで注目すべきは、「波の」の「の」の用法だろう。「波が」でもなく「波を」でもなく、「波の」としたことにより、絵が動いている。千鳥たちが揚がった後に、新しい波が寄せてくる。その動きが、何度もリフレインされている。この「波の」の「の」という言葉の働きをあえて分解するとすれば、「波が」と「波を」の「が」と「を」の機能が、「の」一文字に重ね合わされているとでも言うべきか。少しややこしいが、つまり読者は「の」一文字に「が」と「を」の機能を同時に感じ取るので、絵が動いて見えるというわけだろう。ああ、日本語は難しい。話は変わるが、鳥の専門家でこんなことを指摘している人がいたので、紹介しておく。「『千鳥』は俳句の季語としては冬に入れられているが、日本のチドリ類の生態をみると、かならずしもあたってはいないので注意を要する。また、海岸にたくさんの鳥が集まっているようすから『千鳥』とよぶこともありうるが、この場合はチドリ類のみでなく、同様の環境でみられるシギ類をもさしていると思われる。シギ・チドリ類の群れは冬にもみられるが、春と秋の渡りの時期に大きな群れがみられる」(柳澤紀夫)。掲句は『青き獅子』(1962)に所収。(清水哲男)




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