煙草と発泡酒の増税。止めさせずにふんだくるための、これは微妙でイヤな数字だな。




2002ソスN12ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 16122002

 冬服の紺まぎれなし彼も教師

                           星野麥丘人

通りに読める。一つは「教師」である「彼」その人を知っている場合だ。昨今でも、いったいに教師の装いは地味である。が、そんななかで、彼はいささか洒落たデザインの冬のスーツを着て職場に出てきた。作者は一瞬「おっ」と目を引かれたけれど、しかしデザインはともかく、服地の色が押さえた「紺」であったことで、やはり「まぎれなし」に「彼も」教師なんだなあと微笑している。もう一つの読みは、電車などにたまたま乗りあわせた見知らぬ他人の場合だ。同じような理由から、その人は十中八九教師に違いないと思ったというのである。こちらの解釈のほうがほろ苦くて、私は好きだ。他人の職業を見破ったからといって、何がどうなるというわけではないのだけれど、すうっとその人に親近感がわいてくる。と同時に、教師なんてみんなヤボなものだなあと、ちょっと自嘲の念も生まれている。この味は、それこそ「まぎれなしに」ほろ苦い。教師でなくても、一般的に同業者同士は、お互いにすぐにわかりあえる雰囲気を持っている。このときに、見破る大きなキーとなるのは、やはり服装だろう。私が日ごろよく接している人の職業は、メディア関係が多い。放送局、出版社、新聞社の人々だが、一見それぞれの服装が同じように見えるスーツ姿でも、微妙に異っているところが面白い。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


December 15122002

 羽子板市月日渦巻きはじめたり

                           百合山羽公

語は「羽子板市」で冬。東京では、毎年12月18日が浅草寺の縁日にあたり、この日をはさんだ三日間、境内で開かれる。はじまりは、今から約350年ほども昔の江戸時代初期(万治年間・1658年)頃だという。東京で暮らしていながら、私は一度も行ったことがない。出不精のせいもあるけれど、たいていは仕事と重なってしまって、テレビや新聞でその光景を見るたびに、来年こそはと思いつつ果たしていない。今年も、仕事で駄目だ。この句の魅力には、実際に出かけた人ならではのものがある。私のように報道で知って、ああ今年もそろそろ終わりかと思うのではなく、歳末を肌身でひしと感じている。「月日渦巻きはじめたり」は、華麗な押絵羽子板がひしめきあう露店と、これまたひしめきあう人々との「渦巻き」のなかにいるときに、そうした市の雰囲気が、作者をして自然に吐かしめた言葉だと思う。すなわち、句作のためにたくらんで「月日…」と表現したのではなく、雑踏に押しだされるようにして出てきた「月日…」なのだ。すなわち、作者は羽子板市に酔っている。そうでなければ、渦中にいなければ、「渦巻きはじめたり」の措辞はいささか気恥ずかしい。こういう句には、現場を踏んでいるがゆえの強い説得力を感じさせられる。なお、掲句については以前に(1996/12/17)書いたことがあるのだが、あまりに舌足らずだったので、書き加えておくことにしました。『新日本大歳時記・冬』(1999・講談社)所載。(清水哲男)


December 14122002

 水洟や仏観るたび銭奪られ

                           草間時彦

語は「水洟(みずばな)」で冬。「奈良玄冬」連作のうち。せっかく奈良まで来たのだからと、寒さをおしての仏閣巡り。あまりの寒さに鼻水は出るわ、先々で銭は奪(と)られるわで、散々である。作者の心持ちは、さしずめメールなどでよく使われる「(泣)」といったところか(笑)。「銭奪られ」で思い出したが、十年ほど前の京都は某有名寺院でのこと。拝観受付窓口のおっさんに「いくらですか」と尋ねたら、ムッとした顔でこう言った。「ここは映画館やないんやから、そういうシツレーな質問には答えられまへんな」。「は?」と、おっさんに聞き直した。すると、ますます不機嫌な声で「『いくら』も何もありまへん。ここは、訪ねてくださる方々のお気持ちを受け取るところですから」と言う。さすがに私もムッとしかけたが、なるほど、おっさんの言うことにはスジが通っている。「ああ、そうでしたね。失礼しました。では、どうやって気持ちを表せばよいのでしょうか」と聞くと、おっさんはプイと横を向いてしまった。とりつくしまもない態度。で、ふっと窓口の上のほうを見たら「拝観料○○○円」と墨書してあった。「ナニ体裁の良いこと言ってやがるんだ、このヤロー。これじゃあ映画館と同じじゃねえか」。そう怒鳴りつけたかったが、そこはそれ、ぐっとこらえて○○○円を差し出すと、おっさんはソッポを向きながらもしっかりと「銭」を受け取り、なにやらぺなぺなのパンフレットを放り投げるように寄越したことでした。ありがたいことです(泣)。『中年』(1965)所収。(清水哲男)




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