25日まで実験的に音楽を流します。うるさ〜い、あるいは聞こえな〜い方、ご容赦を。




2002ソスN12ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 21122002

 なほ赤き落葉のあれば捨てにけり

                           渡部州麻子

所に見事な銀杏の樹があって、たまに落葉を拾ってくる。本の栞にするためである。で、拾うときには、なるべく枯れきった葉を選ぶ。まだ青みが残っているものには、水分があるので、いきなり本に挟むと、ページにしみがついてしまうからだ。私の場合は、用途が用途だけに、一枚か二枚しか拾わない。ひるがえって、掲句の作者の用途はわからないが、かなりたくさん拾ってきたようである。帰宅して机の上に広げてみると、そのうちの何枚かに枯れきっていない「赤き」葉が混じっていた。きれいだというよりも、作者は、まだ葉が半分生きているという生臭さを感じたのだろう。私の経験からしても、表では十分に枯れ果てたと見えた葉ですら、室内に置くと妙に生臭く感じられるものだ。そんな生臭さを嫌って、作者は「赤き」葉だけではなく、その他も含めて全部捨ててしまったというのである。全部とはどこにも書かれていないけれど、「捨てにけり」の断言には「思い切って」の含意があり、そのように想像がつく。と同時に、捨てるときにちらっと兆したであろう心の痛みにも触れた気持ちになった。「赤」で思い出したが、細見綾子に「くれなゐの色を見てゐる寒さかな」があり、評して山本健吉が述べている。「こんな俳句にもならないようなことを、さりげなく言ってのけるところに、この作者の大胆さと感受性のみずみずしさがある」。句境はむろん違うのだけれど、掲句の作者にも一脈通じるところのある至言と言うべきか。「俳句研究」(2003年1月号)所載。(清水哲男)


December 20122002

 届きたる歳暮の鮭を子にもたす

                           安住 敦

よそ士農工商、互に歳暮を賀す。と、歳暮は江戸時代からの風習で、元来は餅や酒など食品を贈ったようだ。したがって、句の「鮭」はならわしにのっとった歳暮ということになる。「ほうら、大きいだろう」。作者は箱から取りだした鮭を、「持ってごらん」と子供に差し出した。抱えてみて、その大きさと重さにびっくりした子供の様子に、微笑を浮かべている。見た目にはそれだけの、師走の家庭でのほほ笑ましい一齣だ。が、この句にはちょっとした淡い含意がある。口にこそ出してはいないが、作者は子供に対して、鮭の大きさを自慢しているのだ。故郷からの歳暮であれば、内心で「どうだ、父さんは、こんなに大きな鮭がたくさん獲れるところで育ったのだぞ」とでも……。また、故郷とは無関係の人からのものであれば、こんなに立派な歳暮をくれる親しい友だちがいることを、やはり自慢している。子供相手に他愛ないといえばそれまでだけれど、こういう気持ちは誰にでも多少ともあるのではなかろうか。少なくとも、私にははっきりとあります(苦笑)。そんな隠し味を読むことで、はじめて、何でもないような情景が句として立ち、味が出てくるのだと思った。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


December 19122002

 海くれて鴨のこゑほのかに白し

                           松尾芭蕉

享元年(1684年)十二月の句。前書に「尾張の国あつた(熱田)にまかりける此、人びと師走の海みんとて船さしけるに」とある。寒い師走の夕暮れどきに海を見るために船を出すとは、何と酔狂なと思ってしまうが、これまた風流の道の厳しいところだろう。もはや日は没していて、夕闇のなかを行き交う船もなし。しばらく櫓を漂わせた静寂にひたっていると、不意にどこからか「鴨のこゑ」が聞こえてきた。そちらのほうへ目を凝らしてみるが、むろん暗くて姿は見えない。もしかすると、空耳だったのだろうか。そんな気持ちを「ほのかに白し」と詠み込んでいる。この句は、聴覚を視覚に転化した成功例としてよく引かれるけれど、芭蕉当人には、そうした明確な方法意識はなかったのではないかと思う。むしろ、空耳だったのかもしれないという「ほのか」な疑念をこそ「白し」と視覚化したのではないだろうか。聞こえたような、聞こえなかったような……。そのあやふやさを言いたかったので、見られるとおりに、あえて「五・五・七」と不安定な破調を採用したのではなかろうか。そう読んだほうが、余韻が残る。読者は芭蕉とともに、聞こえたのか聞こえなかったのかがわからない「白い意識」のまま、いつまでも夕闇につつまれた海を漂うことができる。(清水哲男)




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