燃やせないゴミの年内最終収集日。……なんてことが気になるクリスマスであります。




2002ソスN12ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 25122002

 橇がゆき満天の星幌にする

                           橋本多佳子

語は「橇(そり)」で冬。途方もなくスケールが大きく、かつ見事に美しい情景だ。ロマンチックとは、こういうことさ。と、読んだこちらのほうが力みかえりたくなってしまう。昭和ロマンともてはやされた、戦前のシルエット調の挿し絵やカットの類が、作者の頭にはあったのかもしれない。見渡すかぎりの雪原だ。そのなかを「満天の星」を「幌(ほろ)にして」行く小さな黒い橇は、ほとんど進んでいないかのように見える。遠望している作者の耳には、おそらく鈴の音も聞こえていないだろう。まさに、息をのむように美しいシルエットの世界だ。実景というよりも、幻想に近い。いや、実景を幻想にまで引き上げた句と言うべきか。素敵だ。私が育った山陰の村でも、雪が降れば橇の出番があった。しかし、それらはみな木材や炭俵などを運ぶためのもので、どう見てもロマンチックとはほど遠かった。むろん、幌無しだ。馬が引き、牛が引き、そして人も引きという具合。学校帰りに、たまたま通りかかった橇に、よく無断で飛び乗っては叱られたものだ。あれ以来、一度も橇に乗ったことはない。掲句の橇にも実際には幌がついていないのだから、案外、そんな橇だったとも考えられる。だとすれば、より親近感がわいてくる。そして、表現力のマジックを思う。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


December 24122002

 屋台とは聖夜に背向け酔ふところ

                           佐野まもる

っはっは。狷介というのか、世を拗ねているというのか。私にも、こんなふうな若き日がありました。クリスチャンでもないくせに、浮かれている人々が憎らしくもあり、嫉ましくもあり……。屋台のおやじさん相手に、ひとしきり不満をぶちまけて、安酒をあおったものです。文字通りに「聖夜に背向け」酔っていました。でも、当時の本音を叩けば、誰もいっしょに過ごす人がいないので、ただ心寂しかっただけのようでもあります。といって、今でもべつに進んで祝う気持ちはありませんが、楽しげな人々を見て、腹立たしく思うこともなくなりました。クリスマスであれ、何であれ、人は楽しめるときに楽しんでおかないと……、という心境に変化しています。これが、きっとトシのせいというものなのでしょう。その点、我が若き日に比べると、いまの若い人たちはとても楽しみ上手に見え、羨ましいかぎりです。さて、どうでしょうかね。そうはいっても、今夜も広い日本のどこかには、句のように屋台に坐って肩そびやかしている若者が、きっといるのでしょうね。それもまた青春、よしとしましょうや。では、メリー・クリスマス。大いにお楽しみください。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


December 23122002

 羊飼ぞろぞろしつゝ聖夜劇

                           森田 峠

年期が戦争中だったので、キリストやサンタクロースのことを知ったのは、小学校六年生くらいになってからだった。新しく着任された校長先生が熱心なクリスチャンで、その方からはじめて教えられた。草深い田舎の小学校。我ら洟垂れ小僧に、先生はある日突然、クリスマス・パーティの開催を提案された。上級生だけの会だったと思う。見たことも聞いたこともないクリスマス・ツリーなるものを何とか作りあげ、ちょっとした寸劇をやった記憶は鮮明だ。句のように、主役級からこぼれ落ちた残りの連中は「ぞろぞろしつゝ」羊飼になった。おお、民主ニッポンよ。筋書きにあったのはそこまでだが、寸劇が終わるとすぐに、洟垂れ小僧、いや「羊飼」一同があっと驚くパフォーマンスが用意されていたのだった。サンタクロースの登場である。いまどきの子供とは違って、なにしろサンタクロースのイメージすら皆無だったから、驚いたのナンのって。人間というよりも、ケダモノが教室に乱入してきたのかと、度肝を抜かれて身がこわばった。むろん、校長先生の扮装だったのだが、あんなにびっくりしたことは、現在に至るもそんなにはない。そしてそれから、呆然とする羊飼たち一人ひとりに配られたのは、忘れもしない、マーブル状のチョコレートで、これまた生まれて初めて目にしたのである。「食べてごらん」。先生にうながされて、おずおずと口にしたチョコレートの美味しかったこと。でも、二粒か三粒食べただけで、我ら羊飼はみな、それ以上は決して食べようとはしなかった。誰もが、こんなに美味しいものを独り占めにする気にはなれなかったからだ。家に帰って、父母や弟妹といっしょに食べたいと思ったからだ。チョコを大事にチリ紙に包み、しっかりとポケットに入れて夕闇迫る校庭に出てみると、白いものが舞い降りていた。おお、ホワイト・クリスマス。これから、ほとんどが一里の道を歩いて帰るのである。掲句を読んで思い出した、遠い日のちっちゃなお話です。『新日本大歳時記・冬』(1999)所載。(清水哲男)




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