東京の正月は今日でお終いです。生まれてはじめて松の内を風邪で貫きました。怪挙也。




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January 0712003

 鏡餅のあたりを寒く父母の家

                           林 朋子

場のオフィスに飾ってあった「鏡餅」に、正月二日ころから黴がつきはじめた。暖房のせいだ。鏡開きの十一日(地方によって違いはあるが)までは、とても持ちそうもない。オフィスでなくとも、最近の家庭の暖房も進化したので、たくさんの部屋があるお宅は別にして、お困りのご家庭も多いことだろう。団地やマンションなど密閉性の高い住居だと、もう黴が生えていたとしても当然である。たぶん、作者の普段の住居もそんな環境にあるのだ。それが、新年の挨拶に実家に出向いてみると、黴ひとつついていない。堂々としたものである。飾ってあるところは、昔ながらの床の間か神棚だろう。黴ひとつないのは、むろん部屋全体が寒いためなのだけれど、それをそう言わずに、あえて「鏡餅のあたりを寒く」と焦点を鏡餅の周辺に絞り込んだところに、作者の表現の粋(いき)が出た。同時に、日ごろの「父母」の暮しのつつましさに思いが至ったことを述べている。正直言って、自分の家に比べるとかなり寒い。こんなに寒い部屋で、父母はいつも暮らしているのか。そして、かつての私も暮らしていたのか。ちょっと信じられない思いのなかで、作者はあらためて、これが「父母の家」というものなのだと感じ入っている。『眩草』(2002)所収。(清水哲男)


January 0612003

 羽子板に残る遊侠世紀晴

                           的野 雄

助六
きを助け、強気をくじく。おとこだて。任侠。「遊侠(ゆうきょう)」という言葉も、とんと聞かれなくなつた。死語である。句の言うように、わずかにその姿を現代にとどめるのは、芝居(歌舞伎や時代劇)であり、昔ながらの「羽子板」の絵だ。遊侠の人がヒーローたりえたのは、単純に言うと、社会の仕組みがよく見え、したがって理不尽な行いをする人の姿もよく見えていた時代ならではのことで、現今のような不透明な社会システムでは、道化にすらなれるかどうか。人々が土地や家、さらには家業に一生縛りつけられる運命(さだめ)のなかで、それらの絆を断ち切って生きる姿への庶民の憧憬と共感も、必要条件だった。遊侠は、庶民の心の片隅にいつもあった自由への願望を拡大して体現した世界と言えるだろう。といって、実際の遊侠の徒が本質的に庶民の味方であり得たわけもなく、そこはそれ庶民のしたたかな知恵で、都合のよろしき部分のみを抽出拡大し、娯楽として楽しんだ側面が強い。掲句の「世紀晴」は造語で、21世紀初頭の晴天のこと。大時代めかした「世紀晴」という表現であるがゆえに、古風な羽子板とよくマッチし、失われた遊侠に寄せる作者の感傷がしみじみと漂ってくる。写真は、歌舞伎十八番の一『助六由縁江戸桜』に取材した助六。曾我五郎時致は宝刀友切丸を探しに「助六」という侠客になり、吉原に入り込んで、花魁「揚巻」の情夫となった。そこに揚巻のもとに通っていた意休という客がいて、彼こそが友切丸を盗んだ伊賀平内挫左衛門と判明。そこで意休を殺害し、友切丸を持って吉原を抜け出す……。『斑猫』(2002)所収。(清水哲男)


January 0512003

 門松に結晶体の雪刺さる

                           林 翔

月三が日の東京は、ことのほか寒かった。元日には、気がつかない人もいたくらいにわずかではあったが、四十四年ぶりの雪。二日の未明にも降り、三日の昼間にはうっすらと積もるほどに降った。過去百年以上の気象統計からしても、だいたい東京の三が日は「晴れて風なし」の年がほとんどなので、余計に寒さが身にしみた。とくに三日の晴天率は八割を越えていて、文化の日をはるかにしのぐ晴れの特異日なのである。「この天気ではねえ……」と、商店街のおやじさんも嘆いていた。掲句の「雪」の情景は、今年の三日のそれにぴったりだと感じた。昼頃から霙(みぞれ)が降りはじめ、やがてちゃんとした雪に変わったのだが、その変わり目ころの雪の様子は、まさに「結晶体」が「刺さる」ように落ちてくるという感じだった。雪が水の結晶体だという理科の教室での理屈を越えて、どうしても「結晶体の雪」としか体感的に表現しようがない「雪」というものがある。と、句を読んで大いに納得。それが「門松」のとんがった竹や松の葉に「刺さる」のだから、寒さも寒し、読むだけでぶるぶるっときてしまう。巧みな表現だと感服しながら、一方で、雪国のみなさんには、案外こういう句はわからないかもしれないとも思った。めったに降雪のない地方ならではの「雪」であり「結晶体」であり、寒さなのだから。「俳句」(2003年1月号)所載。(清水哲男)




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