January 112003
大崩れして面目のとんどかな土橋石楠花季 June 152004 俺に眼ン付けたなと蛇の大八が土橋石楠花季語は「蛇の大八」。と言われても、何のことやら……。作者は出雲の人で、表題に「蛇の大八(まむし草)」とあるから、出雲地方では「まむし草」をそう呼んでいるのだろう。どことなく愛敬のある呼び名だ。季語として載せている歳時記は少ないし、載せていても春季に分類している。が、いろいろ調べてみると、花期は五月から六月が平均的なようなので、当歳時記ではあえて夏に分類しておく。「眼ン付けたな」は「ガンつけたな」だ。山道で、思わずも目が合っちゃったのである。咄嗟に、まむしが鎌首をもたげたような形の草の吐きかけそうなセリフではないか。しまったと思っても、もう遅いのだ。そんな一瞬の心のざわめきが、的確に出ている。こうしたざっくばらんな調子を持ち込むのがこの人の持ち味の一つで、いかにも原石鼎門らしい血脈を感じる。こういう句が他にももっと詠まれると楽しいのだが、付け焼き刃では無頼は詠めない。世間にバンと居直る度胸がなければ、男伊達もままならぬ。作者はこの句の載った俳誌「鹿火屋」(2004年6月号)に散文「がんばれ、鹿火屋」を書いていて、言いにくいことをずばりと言っている。「結社誌新人賞作家の俳壇への売り出しもビジネスの一つである。ビジネスといえば文芸誌にとっては禁句と言う人もいるが、結社誌の維持、継続発展は昨今の世情に於ての経営には不可欠の事である。(中略)俳人協会の総会での発表によると会員の平均年齢は七十三歳、二、三年に一歳ずつのびている老人俳壇では、その結社に有望な新人を傘下においているところは、その勢力をのばし誌友数も自然に増えているのが現状である」。ひるがえって我が結社の「新人」たちはどうかと見ていくのが文章の本旨で、八十七歳の作者の直言は心地よい。これまた、気合いの入った男伊達の一文だ。「がんばれ、鹿火屋」と、唱和したくなる。(清水哲男) February 182005 るいるいといそぎんちやくの咲く孤独土橋石楠花季語は「いそぎんちゃく(磯巾着)」で春。春に多く見られることから。早春の海辺の情景だろう。吹く風は冷たく、あたりに人影もない。そこここの岩陰に目をやると、あそこにもここにも「るいるいと」磯巾着が菊の花のように開いているのが見えた。赤や紫、緑色などをしたそれらは、ただじいっとして餌がやってくるのを待っているのだ。とりどりの体色がにぎやかなだけに、かえって寂寥感がある。数だけはたくさんいるけれど、決して群れているふうには感じられない。お互いに関わりのない雰囲気で、それぞれが岩にへばりついている。言うならば「孤独」の寄せ集まりだ。「るいるい」たる「孤独」が、作者の眼前に展開しているばかりなのである。磯巾着はどこか愛敬のある生物として詠まれることが多いが、このようにストレートに孤独とつなげた句は珍しい。おそらくこの「孤独」は、このときの作者の心奥のそれにつながっていたのだと思う。余談ながら、磯巾着は意外に長命なのだそうだ。いままで飼育された最長記録は65年に達し、多くの大形の種類のものは野外では100年近く生きるものと考えられている。句の作者のポエジーと直接関係はないのだけれど、こういうことを知ると、もはや老齢の磯巾着が「るいるいと」いる様子も想像されて、いっそう「孤独」の文字が目にしみてくる。掲句は、各種『歳時記』に収載。(清水哲男) December 192005 かじかみて酔を急ぐよ名もなき忌土橋石楠花季語は「かじかむ(悴む)」で冬。「名もなき忌」とあるから著名な人の通夜、ないしは葬儀ではない。また、とくに親しい人のそれでもない。おそらくは同じ町内に住み、道で顔を合わせれば会釈するくらいの淡い付き合いだった人のそれだろう。いまの都会ではそういう風習は絶えてしまっているが、昔は町内で誰かが亡くなると、通知がまわってきて出かけたものである。したがって、弔問はほんの儀礼的なものだ。よく知らない人なのだから。哀しみの感情もわいてはこない。ひどく冷え込んだ日で身体は寒いばかりであり,そこで作者は浄めの酒を普段よりも多めにいただいて「酔を急」いでいるというわけだ。「酔を急ぐよ」が寒さばかりではなく、作者の個人との距離の遠さを暗示していて効果的だ。と読み流してみると、最後に据えられた「名もなき忌」を誤解する読者もいそうなので、念のために書いておくと,これは作者の死生観の一端を述べたもので、決して無名だった故人をおとしめているのではない。むしろ無名に生き無名のままに死に、そうした死後のことはかくのごとくに質素であるべしと言っている。作者の土橋石楠花は十七歳で「鹿火屋(かびや)」を主宰していた原石鼎の門を敲き、今年の夏に亡くなるまで一貫して「鹿火屋」とともに歩きつづけた。2005年7月15日没。享年八十八。句歴七十年余.それなのにこの人には句集が一冊あるだけだ。このことだけを取ってみても,いかに石楠花という俳人が名利とは無縁であったかがうかがわれる。自分の死を詠んだ句に「ぽつかりと吾死に炎帝を欺かむ」があり、まさにその通りになった。句集『鹿火屋とともに』(1999)所収(清水哲男)
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