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January 1112003

 大崩れして面目のとんどかな

                           土橋石楠花

とんど
語は「とんど」で新年。私の住む東京多摩地域では「どんど」。歳時記の項目では「左義長(さぎちょう)」に分類する。松飾りや注連飾りを燃やす伝統行事で、火勢の盛んな様子を喜び、「とんど」ないしは「どんど」とはやし立てることからの命名らしい。最近ではダイオキシン問題との絡みで、行わなくなった神社などの話もよく耳にする。世も末である。ネットで探したのだが、写真の「とんど」は、富山県小矢部市若林地区のもの。これは、素晴らしい。有名神社の左義長が盛大なのは当たり前だが、この素朴にして断固たる火の猛り具合こそは、昔ながらの庶民の心意気を伝えている。句にそくして言えば、この天に高い火柱がどおっと崩れてくる様子は、まさに「とんど」の「面目(めんもく)」躍如たるものがあるだろう。崩れて面目を保つ。アイロニーではなく、それが「とんど」の真骨頂なのだと、作者は告げている。それにしても、この「大崩れ」までの準備は大変だ。写真の載っている「佐野家のホームページ」の佐野行浩さんが、次のように書いている。「私達の村の左義長は、毎年正月の十四日に行われます。青竹の束は数本ではなく数十本で、高さは約8m近くの物を制作します。そのため本番での火の高さは10mを越え、火災の危険もあるため風下では消防隊の消防車を待機させて行われます。そのため、準備にも多くの労力を必要とし、毎年14日の前の日曜日に児童クラブのお父さん達を中心に、20人近くの大人が竹の伐採から組み立てまでの全作業を1日をかけて行います」。『俳句研究年鑑』(2003)所載。(清水哲男)


January 1512013

 一つ足し影の枝垂るる繭飾り

                           榎本好宏

日1月15日は小正月。15日というと一月も半分も過ぎてしまったという焦燥を募らせる頃だが、元日の大正月に対して小正月は古くから豊作を占う行事など華やかに行われる日だった。掲句の繭飾りもそのひとつで、木の枝に繭の形に丸めた餅を吊るして五穀豊穣を願う。地域により使う木もさまざまで、餅以外にも縁起物などにぎやかに装飾する場所もあるが、おそらく掲句は、柳や水木など、しなやかな枝にごくシンプルに飾り付けられているものだろう。明るい冬の日が差し込む座敷で、耳たぶほどのやわらかさにこねた団子をひとつずつ丸めては、枝に付ける。ひとつ加えるごとに、まるで稲穂が実るように枝垂れていく繭玉の漆黒の影が冴え冴えと畳に伸びる。五穀豊穣。古来から人々が願ってやまなかった祈りの言葉のなんと美しいことだろう。この繭飾りに付けた餅は、その夜、お飾りを焼く左義長の火であぶって食べると、一年風邪をひかないといわれ、子どもたちの遊びに還元される。生活の祈りは、どれも楽しみと手を取り合って、人々の生活に根付いていた。〈注連縄の灰となりけり結び目も〉〈餅間といふ月の夜の続きけり〉『知覧』(2012)所収。(土肥あき子)




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