新成人諸兄姉よ。はっきり言って君らの前途は明るくない。老獪な政治家に騙されるな。




2003ソスN1ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1312003

 筆始浮き立つ半紙撫で押へ

                           渡辺善夫

語は「筆始(ふではじめ・書初)」で新年。あっと思った。この感触、この手触り。思い出したのだ。そうだった。中学時代までは書初の宿題があり、正月休みには必ず書いたものだった。半紙を広げて緑色の下敷きの上に置くときに、ふわっと浮き上がるので、掲句の通りに「撫で押へ」てから書いた。小さい半紙ならば、上部を文鎮(ぶんちん)で押さえてやれば、すぐに下敷きに密着したが、大きいものになると、そうはいかない。あちこち「撫で押へ」ても、なかなか静まってくれなかったつけ。もう半世紀も前のことを、掲句のおかげで、かなりはっきりと思い出すことになった。中学二年のときは、天井近くから吊るすほどの大きな書初を書かされたので、とくにあのときのことを。何という文字を書いたのかは覚えていないけれど、そのときの部屋の様子だとか、まだ元気だった祖父や祖母のことなどが次々に思い出されて、いささかセンチメンタルな気分に浸ってしまった。半紙は非常な貴重品だったので、練習には新聞紙を何枚も使ったものだ。したがって、本番になるといやが上にも緊張の極となる。失敗は許されないから、慎重に何度も「撫で押へ」て、……。で、書き終えて、乾かしてからくるくると墨で凹凸のできた半紙を巻くときの感触までをも思い出したのだった。あんなに真剣に文字を書いたことは、以来、一度もない。地味ながら、書初の所作のディテールをしっかり捉えていて、良い句だと思う。「浮き立つ」の措辞も、正月気分にぴったりだ。『明日は土曜日』(2002)所収。(清水哲男)


January 1212003

 うづくまる薬の下の寒さ哉

                           内藤丈草

書に「はせを翁の病床に侍りて」とある。芭蕉臨終直前の枕頭で詠んだもので、去来によれば、芭蕉が今生の最後に「丈草出来たり」と賞賛した句だという。だが、正直に言って、私にはどこが「出来たり」なのかが、よくわからない。凡句というのでもないけれど、去来が「かゝる時は、かゝる情こそ動かめ。興を催し、景をさぐるいとまあらじとは、此時こそおもひ知りはべる」と書いていることからすると、異常時にあっての冷静さが評価されたのだろうか。こういう緊急のときには、日ごろの蓄積が自然に出てくるというわけだ。ところで、芥川龍之介の『枯野抄』は、この句に触発されて書かれたことになっている。読み返してみたら、句への直接の言及はないが、彼もまた「出来たり」とは思っていなかったようだ。それは、師匠の唇をうるおした後に、不思議に安らかな気持ちになった丈草の心の内を描いた部分に暗示されている。「丈艸のこの安らかな心もちは、久しく芭蕉の人格的圧力の桎梏に、空しく屈してゐた彼の自由な精神が、その本来の力を以て、漸く手足を伸ばさうとする、解放の喜びだつたのである。彼はこの恍惚たる悲しい喜びの中に、菩提樹の念珠をつまぐりながら、周囲にすすりなく門弟たちも、眼底を払つて去つた如く、唇頭にかすかな笑(えみ)を浮べて、恭々しく、臨終の芭蕉に礼拝した。――」。すなわち、掲句はいまだ「芭蕉の人格的圧力の桎梏」下にあったときのものだと、芥川は言っている。むろん一つの解釈でしかないけれど、去来のように手放しで誉める気になっていないところが、いかにも芥川らしくて気に入った。ちなみに去来は、しょせんは「薮の中」だとしても、小心者として登場している。(清水哲男)


January 1112003

 大崩れして面目のとんどかな

                           土橋石楠花

とんど
語は「とんど」で新年。私の住む東京多摩地域では「どんど」。歳時記の項目では「左義長(さぎちょう)」に分類する。松飾りや注連飾りを燃やす伝統行事で、火勢の盛んな様子を喜び、「とんど」ないしは「どんど」とはやし立てることからの命名らしい。最近ではダイオキシン問題との絡みで、行わなくなった神社などの話もよく耳にする。世も末である。ネットで探したのだが、写真の「とんど」は、富山県小矢部市若林地区のもの。これは、素晴らしい。有名神社の左義長が盛大なのは当たり前だが、この素朴にして断固たる火の猛り具合こそは、昔ながらの庶民の心意気を伝えている。句にそくして言えば、この天に高い火柱がどおっと崩れてくる様子は、まさに「とんど」の「面目(めんもく)」躍如たるものがあるだろう。崩れて面目を保つ。アイロニーではなく、それが「とんど」の真骨頂なのだと、作者は告げている。それにしても、この「大崩れ」までの準備は大変だ。写真の載っている「佐野家のホームページ」の佐野行浩さんが、次のように書いている。「私達の村の左義長は、毎年正月の十四日に行われます。青竹の束は数本ではなく数十本で、高さは約8m近くの物を制作します。そのため本番での火の高さは10mを越え、火災の危険もあるため風下では消防隊の消防車を待機させて行われます。そのため、準備にも多くの労力を必要とし、毎年14日の前の日曜日に児童クラブのお父さん達を中心に、20人近くの大人が竹の伐採から組み立てまでの全作業を1日をかけて行います」。『俳句研究年鑑』(2003)所載。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます