仕事帰りのバスの正面から、見事な夕日が直撃してくる。こうなると、春遠からじだ。




2003ソスN1ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2112003

 ざうざうと湯ざめしてをり路次咄

                           久米三汀

語は「湯ざめ」で冬。銭湯の帰りの「路次(ろじ)」で、近所の知りあいの人に出会っての立ち話だ。湯ざめを気にしながらも、「咄(はなし)」はなかなか終わらない。こういうことは、日常茶飯事だったろう。目を引くのは「ざうざうと」である。「ぞくぞくと」の音便化と読む人もいるようだが、違うと思う。「ぞくぞくと」であれば、身の内からだんだん寒さが込み上げてくる状態だ。対して「ざうざうと」は、身の内からも何もない。文句無しの冷たい外気に触れて、全身がどんどんと冷え込んできている状態を指すと読める。言い換えれば、「ぞくぞくと」は人の実感にとどまり、「ざうざうと」は人をも含めた界隈全体に押し寄せている寒気を感じさせる。そのとき、路次を吹き抜けていた風の音からの発想だろうか。なお、「三汀」は小説家・久米正雄の俳号である。中学時代から河東碧梧桐門で頭角をあらわし、俳壇の麒麟児とうたわれた。小説家としては、いまで言う中間小説に才能を発揮したが、もはや文庫本にも収録されていないのではあるまいか。私が読んだのは、受験浪人時代にたまたま手にした『受験生の手記』、たった一冊だ。秀才の弟に受験でも恋でも遅れをとり、自殺に追い込まれるという悲しい物語だった。だから、受験シーズンになると、ふっと久米正雄の名を思い出すことがある。『返り花』(1943)所収。(清水哲男)


January 2012003

 大寒の堆肥よく寝てゐることよ

                           松井松花

日は「大寒(だいかん)」。一年中で、最も寒い日と言われる。大寒の句でよく知られているのは、虚子の「大寒の埃の如く人死ぬる」や三鬼の「大寒や転びて諸手つく悲しさ」あたりだろう。いずれも厳しい寒さを、心の寒さに転化している。引き比べて、掲句は心の暖かさにつなげているところがユニークだ。「堆肥(たいひ)」は、わら、落葉、塵芥、草などを積み、自然発酵させて作る肥料のこと。寒さのなかで、じわりじわりとみずからの熱の力で発酵している様子は、まさに「よく寝ていることよ」の措辞がふさわしく、作者の微笑が伝わってくる。一部の歳時記には「大寒」の異称に「寒がはり」があげられているが、これは寒さの状態が変化するということで、すなわち暖かい春へ向けて季節が動きはじめる頃という意味だろう。実際、この頃から、梅や椿、沈丁花なども咲きはじめる。寒さに強い花から咲いていき、春がそれこそじわりじわりと近づいてくる。そういうことを思うと、大寒の季語に託して心の寒さが多く詠みこまれるようになったのは、近代以降のことなのかもしれない。昔の人は、大寒に、まず「春遠からじ」を感じたのではないだろうか。一茶の『七番日記』に「大寒の大々とした月よかな」がある。情景としては寒いのだが、「大々(だいだい)とした月」に、掲句の作者に共通する心の暖かさが現れている。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


January 1912003

 野山獄址寒しひと筋冬日射し

                           岡部六弥太

野山獄
は、日が射しているだけに、余計に「寒し」と感じるときがある。それが「野山獄址(のやまごく・し)」という牢獄の跡の情景ともなれば、なおさらだろう。現在の山口県萩市にあり、吉田松陰が海外密航に失敗して投ぜられたことで有名な牢屋だ。なんだかずいぶん昔の話のようだけれど、ペリーが黒船で乗り込んできてから、まだ百五十年しか経ってはいない。「野山獄」の起こりは傑作だ。いや当事者には悲劇でしかないのだが、こういう話が残っている。正保二年(1645年)九月十七日夜、毛利藩士・岩倉孫兵衛が酒に酔って、道を隔てた西隣りの藩士・野山六右衛門宅に切り込み、家族を殺傷した。ために岩倉は死罪となり、両家とも取りつぶされて、屋敷は藩の獄となった。野山宅であった野山獄は上牢として士分の者を収容し、加害者宅の岩倉獄は下牢として庶民を収容した。したがって、吉田松陰は野山獄に、その時の従者・金子重之助(重輔)は岩倉獄に投ぜられている。作者は、もとより松陰らの数奇な運命に思いをはせて、余計に寒さを感じているのだが、この話を知ると、むしろこちらの無名の武士たちの屋敷跡だったことに、言い知れぬ寒さを覚えてしまう。馬鹿なことをしたものだ。とは、直接に関係のない者の、常の言い草だ。その意味では、幕府にへいこらしていた毛利藩のやりくちを百も承知で、過激な挙に出た松陰も馬鹿な男だったと言える。わずか三十歳で、おめおめと首を斬られることもなかったろうに……。どんな歴史にも「ひと筋」の日は射しているがゆえに、寒いなあと思う。自分史も、また。『俳枕・西日本』(1991・河出文庫)所載。(清水哲男)




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