一昨日の「根木打」についてたくさんの方から思い出が届きました。感謝、感謝です。




2003ソスN1ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2412003

 水いろの帯ながながと雪女郎

                           北園克衛

語は「雪女郎(ゆきじょろう)・雪女」で冬。しどけなく「帯」を「ながながと」垂らした「雪女郎」は、どこか能などに登場する狂女を思わせる。しかも、その帯は「水色」だ。降り積もった雪に半ば溶け込んでいる帯をぞろりと引いて、この世への怨念をぶつぶつと呟いている。そんな様子を想像させられるが、この句をコワいと思うかどうかは、読者と雪とのかかわりの深浅によるだろう。南国育ちの人であれば、おそらくそんなにコワいとは感じないのではないか。もとより、雪女郎は人間の作り出した幻想でしかない。しかし、単なるお話ではない。すべての幻想には根拠がある。たとえ個的なそれであっても、必然性がある。深い雪に埋もれたままの長い冬。そこでうずくまるように暮らしているなかで、自然にわいてくる想念は、「ああ、もうイヤだ」というようなことではないはずだ。むしろ、圧倒的な自然の力への畏怖ないしは畏敬の念であり、それが煮詰まったところで形象化されたのが、たとえば雪女郎だったのではないか。西洋流に言えば、雪の精だ。鬼や妖怪の類も同様で、平たく言えば、自然の力をわかりやすく目に見える形に翻訳したわけだ。ひるがえって、昨今の文明社会には雪女郎も鬼も妖怪も登場してこない。いなくなったのではなく、自然との関係が浅くなった分、我々が彼らを見失ってしまったのだと思う。モダニズム詩人の北園克衛にして、この句あり。いろいろなことを考えさせられた。『村』(1980)所収。(清水哲男)


January 2312003

 水仙を接写して口尖りゆく

                           今井 聖

語は「水仙(すいせん)」で冬。「雪中花(せつちゅうか)」とも。活けてある水仙を撮影しているのではなく、戸外での花を「接写」しようとしているのだろう。風があるので、なかなかシャッター・チャンスが訪れない。風が途絶える瞬間をねらっている。三脚を使わない手持ちのカメラだとしたら、手ぶれにも気を使う。息をとめるようにして構えていると、だんだん「口」が尖(とが)ってくる。ふとそのことに気づいて、苦笑している句だ。最近の植物園などに出かけると、花にカメラを構えている人の増えたこと。定年退職後と思われる年齢の人が、圧倒的に多い。昔は絵を描いている人のほうが多かったが、近頃では完全に逆転してしまった。で、見ていると、たいていの人が「接写」に夢中になっているようだ。みなさんが掲句そっくりに、それぞれ口を尖らせていると思うと可笑しくもなるが、そんなふうに夢中になれるところが接写の醍醐味なのだろう。ただ、いささか気になるのは、昨今の花の写真というと、接写による大写しの写真が氾濫していることだ。なんだか、花の種袋を見せられているような気がしてならない。一概によろしくないとは言わないけれど、もっと距離を置いて花を楽しむ姿勢があってもよいのではなかろうか。間もなく、梅の季節がやってくる。きっと、テレビでは初咲きの花を大写しにすることだろう。私は、梅や桜の一輪を解剖して見るよりは、むしろぼおっとした遠景として眺めるほうが好きである。「俳句研究」(2002年3月号)所載。(清水哲男)


January 2212003

 一人づつ減る夕寒を根木打

                           菅 裸馬

語は「根木打(ねっきうち)」で冬。「むさしのエフエム」のスタジオには、俳句歳時記が置いてある。音楽をかけている間に、時々パラパラとめくって、任意のページを読む。今日もそんなふうにして読んでいて、「あつ」と声をあげそうになった。子供のころによくやった遊びに、地面に五寸釘を立てて倒しあうものがあった。大人になってから時々思い出し、友人にそんな遊びがあったかと聞くと、みな知らないと言う。知らないということは、やっぱり山陰もごくごく田舎ローカルの遊びだったのかと、いつしか誰にも尋ねなくなっていた。それが、偶然に開いたページに麗々しく載っているではありませんか。ローカルなんてものじゃない。季語になっているくらいだもの、昔は全国的によく知られた遊びだったのだ。カッと頭に血がのぼるほどに嬉しかった。放送で話したわけではないけれど、長年の胸のつかえがおりて、以後はまことに上機嫌で仕事ができた。「根木打」とは、どんな遊びだったのか。スタジオで読んだ平井照敏の説明を丸写しにしておく。「先をとがらせた木の棒が根木で、長さは三十センチから六十センチほど。これをやわらかい土に打ち込み、次の者が自分の根木を打ち込みながら、前の者の根木に打ち当てて倒してそれを分捕るのである。竹の棒、五寸釘を使うこともある。(中略)稲刈りのあとの田んぼや雪上などでする」。地方によって呼び名はいろいろなようだが、私たちは五寸釘を使ったので、単純に「釘倒し」と呼んでいた。まことにシンプルな遊びなのだが、熱中しましたね。まさにこの句にあるように、夕暮れの寒さにかじかみながら、一人減り二人減るなかで、打ち合ったものでした。なにしろ五寸釘ゆえ、夕暮れに打ち合わせるとパッパッと火花が散った……、その泣きたいような美しさ。掲句のセンチメンタリズムはよくある類のレベルにしかないけれど、この際、そんなことはどうでもよろしいという心持ちになっています。体験者は、おられますでしょうか。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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