墜落は予算削減のあおりという説。世界中いたるところでの不可視の墜落は数知れない。




2003ソスN2ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0322003

 鬼は外父よまぶたを開けられよ

                           葉狩淳子

語は「鬼は外」で冬。たいていの歳時記には「福は内」とともに、「豆撒(まめまき)」の項目に分類されている。掲句の作者は、節分の夜に父親を見舞っているのだろう。もはや昏々と眠りつづけるだけの病人の枕頭にあって、せめて「まぶたを開けられよ」と、祈るような作者の哀切な心持ちが伝わってくる。今宵は豆撒き。幼かったころに、十分に元気だった父親が、大声で「鬼は外」と撒いてくれた姿を思い出す。思い出していま、作者も心のうちで、何度も何度も「鬼は外」と繰り返しているのに違いない。こんなにも切ない豆撒きの日が、かつてあっただろうか。眠りつづける父親の顔を凝視しながら、移り行く時の非情を噛みしめている句だ。このときに「鬼」は、時の移ろいそのものである。研究者でもないので、大きなことは言えないが、元来の「鬼」は観念的な存在であったようだ。決して、桃太郎が退治した鬼たちのように、人前に姿をさらすことはなかった。人の知恵などでは、どうしようもない存在。たとえば、不意に疫病をまき散らしたりする邪悪にして、手のほどこしようもない存在……。そうしたことからすると、掲句の鬼は最も本義に適っていると言えるのではあるまいか。「足よりも筆の衰へ鬼やらひ」(清水基吉)。この鬼もまた、時の移ろいを指していて、私など文筆の徒には鬼のように怖く写る句だ。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


February 0222003

 白き巨船きたれり春も遠からず

                           大野林火

語は「春」。……と、うっかり書きそうになった。試験問題に出したら、間違う生徒がかなりいそうだな。正解は「春も遠からず(春近し・春隣)」で、冬である。林火は横浜に生まれ育った人だから、こうした情景には親しかった。大きくて白い、たぶん外国船籍の客船が、ゆったりと入港してくる。その「白き巨船」が、まるで春の使者のようだと言っている。むろん、船と季節との直接的な因果関係は何もないのだけれど、このように詠まれてみると、なるほど「春も遠からず」と思えてくるから面白い。私は山育ちだから、船が入港してくる様子などは、ほとんど知らない。知らなくても、しかし掲句には説得される。何の違和感も覚えない。何故なのだろうか。たぶん、それは「白き巨船」の「白」という色彩のためだろうと思う。これが、たとえば「赤」だったり「黄」だったり、その他の色だったりすると、なかなか素直にはうなずけそうもない気がする。多くの色のなかで、白色が最も光りを感じさせる。すなわち「巨船」はこのときに、大きな光りのかたまりなのである。そしてまた、来る春も光りのかたまりなのだから、ここで両者の因果関係が成立するというわけだ。ま、この句を、こんなふうなへ理屈を言い立てて観賞するのはヤボというものだろう。が、読後、私のなかで起きた「光りのかたまり」の美しいイメージのハレーション効果を忘れないために、ここに置いておこうと思ったのでした。『海門』(1939)所収。(清水哲男)


February 0122003

 明日ありやあり外套のボロちぎる

                           秋元不死男

語は「外套(がいとう)」で冬。敗戦後二年目の句だ。詩歌に「明日」が頻繁に登場したのは、戦後十数年までだろう。壊滅したこの国の人々は、とにかく「今日」よりも「明日」に希望をつないで生きるしかなかった。あのころ、澎湃(ほうはい)として沸き起こった労働争議を支える歌にも、無数の「明日」が刻み込まれている。だから、一口に「明日」と言っても、その内実、込められた思いは千差万別だった。ある人の「明日」には明るさがあり、ある人のそれには暗さしかなかった。こんなにも「明日」という言葉に、多面的な意味や情感が託された時代は、他になかったのではなかろうか。「煙草くさき国語教師が言うときに明日という語は最もかなし」(寺山修司)。掲句の作者はボロ外套を着て、街頭を歩いている。失意落胆、暗澹たる思いを打ち消すことができない。本当に、明るい「明日」はくるのだろうか。わからない。来ないかもしれない。そんな忸怩たる思いのなかで、作者はこれではならじと気を取り直した。「明日」は必ず「ある」のだ。と、外套のボロを引きちぎった。自分で自分を激励したのである。ボロを引きちぎる指先の力の込めように、激励の度合いが照応している。三段に切れた珍しい句だが、ぶつぶつと切れているからこそ、作者の心情がよく伝わってくる。『万座』(1967)所収。(清水哲男)




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