今夕、吉身俊哉さんのテレビ50年の話が聞ける。個人史を離れてのテレビ史は少ない。




2003ソスN2ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0722003

 町は名古屋城見通しに雛売りて

                           久米三汀

語は「雛売る・雛市(ひないち)」で春。三月節句の前に、雛や雛祭りに用いる品々を売る市のことだが、現在ではデパートや人形専門店のマーケットに吸収されてしまった。掲句は、句集の刊行年から推して、明治期の雛市の様子を詠んだものだろう。「名古屋城」ではなく「名古屋」で切って、「城」は「しろ」と読む。長野県の出身だった作者は、とにかく市の豪勢さには驚いたようだ。名古屋城が「見通しの」景観の見事さもさることながら、売られている雛の格も、故郷のそれとは比べ物にならなかったに違いない。なにしろ嫁入りの結納を受け取ったら、その五倍から十倍は嫁入り道具にかけたという土地柄だ。いまでも、名古屋の嫁入りはよほど豪華だという話をよく聞くし、新婚向けのマンションがなかなか売れなかった時代もあったという。一戸建てでなければ家じゃない、あんな西洋長屋に住んでは沽券にかかわるというわけだ。他所者としては、そうした名古屋人のプライドや見栄の張り方に少しは反発を覚えてもよさそうなものだけれど、作者はあっさりと「町は名古屋」だ、たいしたものだとシャッポを脱いでしまっている。挨拶句かもしれないが、このシャッポの脱ぎ方から、往時の名古屋雛市の豪華さ華麗さがしのばれる。雛市のときには、同時に旧家が自慢の雛を、道を通る人に見えるように自宅で公開したというから、そちらもさぞや見事だったはずだ。地元の人の句ではないだけに、説得力を持つ。『牧唄』(1914)所収。(清水哲男)


February 0622003

 鯛焼のはらわた黒し夜の河

                           吉田汀史

語は「鯛焼(たいやき)」で冬。冬は、あつあつに限るからだろう。ところで、掲句の鯛焼は、どう考えてもあつあつとは思えない。むしろ、もう冷めきってしまっている。だから、黒いのは餡ではなくて「はらわた」なのだ。せっかく求めた鯛焼を、何故いつまでも持ち歩いて食べなかったのか。句からは何も事情はわからないけれど、その事情を読者に想像させずにはおかないところが、作者の手柄だと思う。女連れだ。と、これは私の想像だ。そうでなければ、まず男一人で鯛焼を買うことはないだろうし、第一に、寒い夜の河畔にたたずむこともあるまい。たわむれに、二人で鯛焼を買ったまではよかった。が、歩いているうちに込み入った話になり、だんだんお互いに無口になり、気がついたら河畔に立っていたというわけだ。すっかり気まずくなった雰囲気を断ちきろうとするかのように、鯛焼を二つに割ってはみたものの……。「はらわた」のような黒い餡が目に沁みて、なおさらに重苦しい気分に落ち込んでいる。かすかに水面が見えるだけの「夜の河」も、あくまでもどす黒い。その昔、吉村公三郎がはじめて撮ったカラー映画に『夜の河』(1956・松竹)がある。もしかしたら、作者は、この映画を思い出して作句したのかもしれない。道ならぬ恋の二人の間に立ちはだかった動かせないものの象徴として、このタイトルは付けられていた。俳誌「航標」(2003年2月号)所載。(清水哲男)


February 0522003

 旅がらす古巣はむめに成にけり

                           松尾芭蕉

語は「むめ(梅)」で春。黒っぽい装束で旅をしている自分を「からす」になぞらえて「旅がらす」。ひさしぶりに「古巣」、すなわち故郷に戻ってみたら、例年のように「むめ」の花が咲き匂っていた。やはり、故郷はいいな。ほっと安堵できる……。句意としてはそんなところで、さして面白味はない。が、ちょっと注目しておきたいのは「旅がらす」の比喩だ。現代人からすると、時代劇や演歌の影響もあって、なんとなく木枯紋次郎などの無宿人や渡世人を想像してしまう。「しょせん、あっしなんざあ、旅から旅への旅がらすでござんすよ」。そんな渡世人の句としても成立しないわけではないが、しかし、芭蕉にはそうした崩した自意識や自嘲の心はなかったはずだ。というのも、この「旅がらす」という言葉は、どうやら芭蕉その人の造語だったようだからである。「これ以前に、用例を見ない」と、古典俳句研究者であった乾裕幸『古典俳句鑑賞』(2002)にある。となれば、ひょっとすると渡世人を指す「旅がらす」も、掲句に発しているのかもしれないと想像できる。これは面白い、使える言い方だと、当時の誰かが飛びついた。それも、はじめは俳人や僧のような黒衣の旅人に限定して言っていたのが、だんだん意味が変わってきてしまったのではないだろうか。最近の国語辞典を見ると、もはや芭蕉が発想したであろうような「旅がらす」をイメージしての定義は載っていない。木枯紋次郎の側に、すっかり傾いている。(清水哲男)




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