句集に収める句をある程度絞り込んだのだが、次から次へと改作したくなる。弱ったな。




2003ソスN2ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1722003

 世の中よ蝶々とまれかくもあれ

                           西山宗因

者・宗因は、言わずと知れた江戸期談林派の盟主。とにかく(「とまれかくもあれ」が「とまれかくまれ」に言い掛けてある)、「世の中」なんてものは、深刻に考えだしたらキリがない。「蝶々」が花から花へ止まったり移ったりするように、すべからく我々も好き勝手なことをして生きるべきだ(「かくもあれ」)と呼びかけている。「そんなことを言われても無理……」という読者の反応も、ちゃんと計算済みの句だ。というよりも、本人がいちばん「無理」を承知の上での作句なのだろう。この句から自然に思い起こされるのは、誰もが知っている「ちょうちょう」という子供の歌だ。♪ちょうちょう ちょうちょう/菜の葉に とまれ/菜の葉に あいたら/桜にとまれ……。作詞は明治期の野村秋足という人だが、もしかすると、掲句を踏まえているのかもしれない。と思えるほどに、内容が酷似している。こんな享楽思想を、いたいけない子供たちに吹き込んでよいものだろうか(笑)。蛇足ながら、「ちょうちょう」のメロディは日本製ではない。原曲がスペイン民謡であることは、知る人ぞ知るところ。さて、また新しい一週間のはじまりですね。今週もお互いに、「とまれかくまれ」掲句なんぞは忘れて(!?)がんばりましょうや。(清水哲男)


February 1622003

 みえねども指紋あまたや種袋

                           小宅容義

語は「種袋(たねぶくろ)」で春。春先になると、花屋や駅構内などの片隅のスタンドに、草花の種の入った紙袋がいっせいに並べられる。けっこう人気があるようで、いつも何人かの人が見ている。私が買うのは、もう少し経ってからの朝顔の種くらいのものだが、ついでに他の花の「種袋」をついつい引き抜いて見ることが多い。おそらくは、みんなもそうしているのだろう。だから、いちばん手前の種袋は、たしかに「みえねども指紋あまた」であるはずだ。その「あまた」に、作者は春本番間近な人々の自然な気運を察して、喜びを感じている。他で、そういうことが気になるのは、たとえば書店で平積みになっている雑誌や本を買うときだろう。ここでもまた「指紋あまた」であることは間違いなく、たいがいの人はいちばん上のものは避けて買っていく。「指紋」というよりも、見ず知らずの人の「あまたの手垢」を感じるからだろう。ところで元雑誌編集者としては、この平積みのいちばん上の雑誌や本を見るのが、いまでも辛い。売り物にならないサンプルというふうには、なかなか割り切ることができないのだ。中身は同じなんだから、上から順番に買ってくれよ、そんなに乱雑に扱うなよ。書店にいると、そこらへんの誰かれに言いたくなってしまう。だから、よほどヨレヨレになっていないかぎりは、いちばん上の「指紋あまた」(のはず)のものを買うことにしている(ただし、パソコン雑誌のCD附録つきのものは別)。出版界へのささやかな私流仁義なのです、これは。でも、種袋となると、いくつかを取っ換え引っ換えし軽く振ってみて、なんとなく重量感のありそうなものを買う。すみませぬ。『俳句研究年鑑・2003年版』所載。(清水哲男)


February 1522003

 汗くさき青年歌集明日ありや

                           清水哲男

青年歌集
年に一度の自句自戒(!?)の日。いったい、あのただならぬ熱気は何だったのか。私がもぞもぞと学生運動に関わった1950年代後半ころの「歌声運動」のフィーバーぶりは……。いまでも鮮かに思い出すのは、一回生の初夏に、奈良での闘争を支援すべく、京都府学連が大挙して電車で向かったときのことだ。一般乗客は我々を避けて、他の車両に移動したのだったろう。貸し切り状態の車内で、私たちは歌いっぱなしであった。各国の革命歌をはじめ、「原爆許すまじ」「国際学連の歌」などの反戦歌やロシア民謡はわかるとして、不思議なことに日本民謡やシャンソンなども。がり版刷りの歌詞も用意されていたが、気のきいた奴は『青年歌集』を携帯していた。表紙に名前の見える関鑑子は、いまの東京芸大を出て、戦前には日本プロレタリア音楽家同盟で活躍した人。戦後はじめて開催されたメーデーの中央壇上で歌唱指導をし、「三十万人の群衆に対しては、どんな優れた音楽家でも一人よりは百人の合唱隊の方が必要だ」と述べている。表紙は、普通の農家の人々が楽しそうに歌っている写真だ。これは今で言うヤラセの図だとは思うけれど、当時の雰囲気としては、ありえない光景だなどとは言えないほどに、歌声運動は浸透していたのだ。告白しておけば、私は歌声運動が好きじゃなかった。デモの先導車でマイクを通して歌ったこともあるけれど、みんなで声を合わせるのが性に合わないのだった。「革命」運動に歌なんていらない……という気持ちもあった。それでも必要なので、何冊かの『青年歌集』は持っていた。京都を離れるときに、歌声喫茶の歌集とともに、みんな捨ててしまった。それにしても、あの頃の歌へのすさまじい熱気は、何だったのだろうか。『匙洗う人』(1991)所収。(清水哲男)




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