またまた原稿が、来月にこぼれる。どうして、こうなんだろう。「シャン」とせんかい。




2003ソスN2ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 2822003

 二月尽雨なまなまと幹くだる

                           石原舟月

語は「二月尽(にがつじん)」で春。といっても、独立させてこの項目を持つ歳時記は、めったにない。たいていは「二月」の項目に、附録みたいにくっつけてある。それというのも、「二月尽」が使われはじめたのは昭和の初頭くらいからで、かなり新しい季語だからだ。昔の人は陰暦で暮らしていたので、二月が終わることになっても、格別の情感は浮かばなかったろう。ちなみに、今年の陰暦二月の入りは陽暦三月三日だし、尽きる日は四月一日だ。梅も散って桜が咲くのが、昔の二月というわけで、もう仲春だった。ところが、明治初期に陽暦が採用されてからは、春は名のみの寒い月となり、明日から春三月と思うことに、特別な感情が徐々に加わるようになる。徐々にというのは、生活に陽暦感覚が定着するまでには長い時間がかかったという意味で、ようやく根づいたと言えるのは、この季語がおずおずと顔を出した昭和の初期ころだったと思われる。すなわち新季語「二月尽」には、本格的な春の訪れも間近だという期待が託されている。別の季語に翻訳すれば「春隣」に近いだろう。掲句のキーワードは「なまなまと」の措辞だが、そっけない寒期の雨とは違って、なまなましくも親しみを覚える雨である。陽春近しと微笑する作者の姿が、重なって見えてくる。『俳諧歳時記・春』(1968・新潮文庫)所載。本書は「二月尽」の独立項目を持つ。(清水哲男)


February 2722003

 うき友にかまれて猫の空ながめ

                           向井去来

語は見当たらないが、句の全体的な意味から「猫の恋」で春。「うき友」は「憂き友」。憎からずおもっていた相手に近寄っていったら、凄い剣幕で「か(噛)まれて」しまった。その後の猫の様子を詠んでいる。失恋だ。何が起きたのか、何故噛まれたのかもよくわからず、ぼおっと空を眺めている猫の姿は、どこか佃公彦あたりの漫画にも通じるようなユーモアを感じさせる。おおかたの現代人はこう読むだろうし、それでもよいのだけれど、生真面目な去来の本意としては、もう少し深刻に読んでほしいというところがあったかもしれない。というのも、本来「ながめ」とは遠くを見渡すことよりも、見つめながら「物思いにふけること」を一義としたからだ。「わが身世にふるながめせしまに」など。つまり、この猫は単に呆然と空を眺めているのではなく、失恋した人間と同じように物思いにふけっているというわけで、一歩も二歩も猫の内面に踏み込んでいる。さぞや苦しかろうと、作者は感情移入しているのだ。こう読んでみると、ユーモアよりもペーソスが滲み出てきて、句の姿はがらりと変わってしまう。となれば、この句、実は猫に託して自分のことを詠んだのではないか。うがち過ぎではあろうが、そんなふうに読んだとしても、いちがいに誤読だとは言えないと思う。『猿蓑』所載。(清水哲男)


February 2622003

 春の月上げて広重美術館

                           遠藤睦子

広重
とえば、古句に森川許六の「清水の上から出たり春の月」があり、現代句に小澤克己の「青き月上げて谷間の河鹿笛」があるなど、類想句は多い。要するに、天上の月に対して地上に何を配するかによって、句の生命が定まる仕掛けだ。前者は「清水(寺)」という京の名刹を置いて美々しさを演出し、後者は見えない河鹿のきれいな鳴き声を配して、近代的な寂寥感を詠んでいる。蕪村が天心の月に「貧しき町」を置いて見せたのも、同じ手法と言ってよいだろう。季節は異っていても、これらの句に共通するのは、月夜の美しさを言うことが第一であり、月の下に配するものは、あくまでも月の引き立て役ということだ。掲句の場合は、配するに「広重美術館」を持ってきた。広重を顕彰する美術館は全国に散在しているので、どこの建物かはわからないが、わからなくても差し支えはない。というのも、この句のねらいは、句それ自身の景色を広重の描いた数々の月の絵と呼応させているところにあるからである。平たく言うと、句の景色がそのまま広重の絵の構図になっている。その面白さ。論より証拠。図版は吉原の夜桜見物を描いているのだが、地上にさんざめく人々を消してしまうと、あら不思議、まさに掲句の構図が忽然と浮かび上がってくるではありませんか。『水の目差』(2001)所収。(清水哲男)




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