娘が友人たちと卒業旅行に出かけた。私の学生時代には、旅行など思いも及ばなかった。




2003ソスN3ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1132003

 馬の子や汝が定型に堪へる膝

                           竹中 宏

語は「馬の子」で春。春は、仔馬の生まれる時期だ。当歳時記では「春の馬」の項目に分類しておく。テレビでしか見たことはないけれど、生まれたばかりの仔馬は、間もなく立ち上がる。立ち上がろうとして、何度もよろけながら、それでも脚を懸命に踏ん張ってひょろりと立つ。「がんばれよ」と、思わずも声をかけたくなるシーンだ。そんな情景を詠んだ句だろう。それにしても「汝(な)が定型」とは、表現様式が俳句だけに、実に素晴らしい。馬が馬らしくあるべき姿は、言われてみれば、なるほど「定型」だ。その定型を少しでも早く成立させるために、仔馬はよろめきつつも、立ち上がろうとする。立ち上がるためには「膝」でおのれを支えなければならず、みずからの重さに「堪へ」て踏ん張る健気さは、生まれてもなかなか立ち上がることをしない人間にとっては、ひどく感動的である。お釈迦様は生まれてすぐにスタスタとお歩きになったそうだが、そんな話がまことしやかに伝えられていることからしても、容易に定型には近づけない人としては、逆にひどく定型にこだわるのかもしれない。ちなみに、馬の寿命はおよそ二十五年ほどだという。つまり、馬三代の時間を人は生きる理屈だが、しからば人はいつごろ定型として立つと言ってよいのだろうか。そんなことも、ちらりと考えさせられた。俳誌「翔臨」(第46号・2003年2月28日付)所載。(清水哲男)


March 1032003

 車輪繕う地のたんぽゝに頬つけて

                           寺山修司

司、十代の作。当時の彼の手にかかると、どんなに地味な日常的景観でも、たちどころに素敵なシーンに変貌してしまう。掲句の場合だと、男が馬車か荷車の下にもぐり込んで、ちょっとした車輪の不具合を応急的に繕(つくろ)っているにすぎない。昔の田舎道では、たまに見かけることのあった光景だ。この変哲もないシーンに、作者は「たんぽゝ」を咲かせ、男の「頬」をくっ「つけて」みせた。実際の男は車輪の修繕に懸命になっているわけだが、作者には修繕などは二の次で、その男が「たんぽゝに頬つけて」いることこそが重要なのだ。これで、泥臭い現実が、あっという間に心地よいそれに変換された。作者はよく「現実よりも、あるべき現実を書く」と言っていたが、そのサンプルみたいな句と言ってよい。さらには「あるべき現実」という点からすると、このシーンを丸ごと虚構と受け取っても構わないだろう。むしろ、そう読むほうが正しいのかもしれない。というのも、句の「車輪」は、どうもヘルマン・ヘッセの『車輪の下』から持ってきたような気がしてならないからだ。最近ではヘッセの国・ドイツでも読まれなくなっていると聞くが、作者の少年時代ころまでは、世界的に読まれた作品だった。車輪の下に押しつぶされていくような、青春期の柔らかい心の彷徨と挫折を描いた自伝的青春小説である。この小説を句の背景にうっすらと置いてみると、実景にこだわって読むよりも、切なくも甘酸っぱい青春性が更に深まってくる。『われに五月を』(1957)所収。(清水哲男)


March 0932003

 生き残りたる人の影春障子

                           深見けん二

く晴れた日。縁側に腰掛けているのか、廊下を通っていったのか。明るい障子に写った「人の影」を認めた。その人は、九死に一生を得た人だ。大病を患ったのかもしれないし、戦争に行ったのかもしれない。しかし作者は、ふだんその人について、そういう過去があったことは忘れている。その人は身内かもしれないし、遊びに来た親しい友人かもしれない。いずれにしても、作者はその人の影を見て、はっとそのことを思い出したのである。自分などとは比較にならぬ不幸な体験を経て、その人はいまここに、静かに生きている……。生き残っている。その人と直に向き合っているとわからないことを、束の間の影が雄弁に語ったということだろう。すなわち、障子一枚隔てているがゆえに、逆にその人の本当の姿がくっきりと浮かび上がったのだ。影は実体のディテールを消し去り抽象化するので、実体に接していたのではなかなか見えてこないものを、率直にクリアーに写し出す。この人は、こんなに腰が曲がっていたのか、等々。シルエット、恐るべし。さて、作者はこれから、その人と言葉をかわすのかもしれない。だとしても、いつもの調子で、何事も感じなかったように、であるだろう。『花鳥来』(1991)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます