March 152003
玉丼のなるとの渦も春なれや
林 朋子
はじめての外食生活に入った京都での学生時代。金のやりくりなどわからないから、仕送り後の数日間は食べたいものを食べ、そうしているうちに「資金」が底をついてくる。さすがにあわてて倹約をはじめ、そんなときの夕食によく食べたのが、安価な「玉丼(ぎょくどん)」だつた。「鰻玉丼」だとか「蟹玉丼」なんて、立派なものじゃない。言うならば「素玉丼」だ。丼のなかには、米と卵と薄い「なると」の切れっぱししか入っていない。丼物は嫌いじゃないけれど、毎日これだと、さすがに飽きる。掲句を読んで、当時の味まで思い出してしまった。作者の場合は、むろん玉丼のさっぱりした味を楽しんでいるのだ。「なると」の紅色の渦巻きに「春」を感じながら、上機嫌である。「なると」は、切り口が鳴門海峡の渦のような模様になっていることからの命名らしいが、名づけて妙。食べながら作者は、ふっと春の海を思ったのかもしれない。楽しい句だ。またまた余談になるが、昭和三十年代前半の京都には「カツ丼」というものが存在しなかった。高校時代、立川駅近くの並木庵という蕎麦屋が出していた「カツ丼」にいたく感激したこともあって、京都のそれはどんなものかとあちこち探してみたのだが、ついに商う店を発見できなかった。さすがに今はあるけれど、しかし少数派のようだ。なんでなんやろか。『眩草(くらら)』(2002)所収。(清水哲男)
March 142003
顎紐や春の鳥居を仰ぎゐる
今井 聖
この「鳥居」を見上げているのは、どんな人だろう。「顎紐(あごひも)」をかけているというのだから、警官か消防隊員か、それとも自衛隊員か。あるいはオートバイにまたがった若者か、それとも遠足に来た幼稚園児だろうか。いろいろ想像してしまったが、おそらくは消防関係の人ではなかろうか。春の火災予防運動か何かで、神社に演習に来ているのだ。仕事柄、とくに高いところには気を配る癖がついている。大鳥居なのだろう。仰ぎながら梯子車がくぐれるか、神社本体への放水の邪魔にならないかなど、策を練っている。たまたま通りかかった作者には、しかし彼の頭のなかは見えないから、顎紐をかけたいかめしい様子の人が、さも感心したように鳥居を仰いでいる姿と写った。春風駘蕩。鳥居は神社の顎紐みたいなものだし(失礼)、そう思うと、両者のいかめしさはそのまま軽い可笑しみに通じてくる。余談になるが、この顎紐のかけ方にも美学があって、真面目にきちんと締めるのは野暮天に見える。戦争映画などを見ていると、二枚目は紐をだらんとぶら下げていることが多い。これが本物の戦闘だったら危険極まると思うが、その方がカッコいいのだ。そういえば、最近の消防団のなかには、顎紐つきの旧軍隊のような帽子を廃止して、野球帽スタイルのものをかぶりはじめたところもある。顎紐そのものを追放してしまったわけだが、実際の消火活動の際に、あれで大丈夫なのだろうか。『谷間の家具』(2000)所収。(清水哲男)
March 132003
豚怒り大学校の春休
斎藤梅子
季語として「春休」を扱っている歳時記は、意外に少ない。「夏休」「冬休」ほどには、ドラマ性がないからだろうか。学校や学生生徒が、いちばんぼおっとしているのも、春休みである。さて、掲句であるが、若い読者にはなぜ「豚」が出てくるのかは、わからないだろう。農学部あたりで飼育している豚かもしれないと思うのが、せいぜいだろう。無理もない。作者に聞いてみたわけではないけれど、私たちの世代であれば、たいていの人は「ははあん」と見当がつく。この句は間違いなく、1964年の東大の卒業式で、時の大河内一男学長が述べたはなむけの言葉の一節を踏まえている。曰く「太った豚よりも、痩せたソクラテスになれ」。その日の夕刊だったか、翌日の朝刊だったかに大きく報道され、ずいぶんと話題になったものだ。いまさら解釈の必要もないだろうが、時代は高度経済成長のトバ口にあったころで、経済優先の時代を生きていく若者たちへの、清貧を旨とする学長からの警告だった。その警告にもかかわらず……、と作者は言いたいのだ。当時の若者がこのザマでは、ダシにされた「豚」も怒って当然じゃないか。しかし当の「大学校」は、春休みなんぞに入って、のほほんと構えているばかり。作句時期は、1999年と記載されている。『八葉』(2002)所収。(清水哲男)
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