「ああ、飛行機なんて作るんじゃなかった」。第二次大戦後のライト兄弟の弟の真情。




2003ソスN3ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2332003

 はこべ挿す模型の小鳥慰めて

                           堀口星眠

語は「はこべ(繁縷)」で春。春の七草の一つとして知られる。が、案外、具体的に名前と実物が一致しない人は多いようだ。そんじょそこらに沢山自生しているにもかかわらず、皮肉なことに、かえってきちんと名前を覚えられない宿命にある草だ。それはともかく、はこべは小鳥の好物だそうである。それを知っている作者は、淋しそうに見えた「模型の小鳥」に、本物の餌を与えてやった。本物の鳥として扱ってやった。なんという優しい心遣いだろうか。この句を読む読者のすべてが、作者の優しさに共感し微笑するだろう。なぜならば、読者自身にもそうした優しさがあり、思い当たるところがあるからだと思う。掲句の世界は、ここですぐれて叙情的に完結する。しかしながら……と、私はすぐに余計なことを考える。悪癖だ。句は完結しても、これからの作者はもとより、読者の人生もまたしばらくは完結しない。完結しないから、掲句の優しさを持つすべての人が、すべて優しい気持ちを保ちながら生きていくわけではない。保とうとしても、そうはいかない外圧を受ける場合もあるだろうし、みずからの野望で優しさを崩す場合もあるだろう。いや、こんなに大袈裟に言うこともない。日ごろの私の心情を、さっとなぞってみるだけで十分だ。永遠の優しさは神のみに固有のものであり、その神を造ったのは他ならぬ人間である。だから、ときどき人は神に憧れて、神よりもよほど非合理的に優しくふるまったりもするのだろう。「俳句研究」(2003年4月号)所載。(清水哲男)


March 2232003

 蝌蚪生れて月のさざなみ広げたる

                           峯尾文世

語は「蝌蚪(かと)」で春。蝌も蚪も杓のかたちをした生き物で、蛙の幼生の「オタマジャクシ」のことを言う。さて、いきなり余談になるが、井の頭自然文化園の分園の水生物館で、その名も「水辺の幼稚園」という展示がはじまった。オタマジャクシやメダカ、とんぼの幼虫・ヤゴなどを見ることができる。「水辺の幼稚園」とは楽しいネーミングだけれど、ああ、こうした生き物も、ついに入場料を払って見る時代になったのかと、ちょっと悲しい気分だ。それも、動物園の象や犀などと同じように、本来の環境とは切り離された姿でしか見ることはできないのである。利点は一点、自然環境のなかにいるときよりも格段によく見えることだ。そういうふうに作られた施設だから、それはそれとしても、格段によく見えることで、かえって見えなくなってしまう部分もまた、格段に大きいだろう。たとえば、掲句のような見事に美しい光景は、この種の施設で見ることはできない。春満月の夜、月を写した水面にかすかな「さざなみ」が立っている。これはきっと、いま次から次へと生れている「蝌蚪」たちが立てているのであり、水輪を少しずつ「広げ」ているのだと、作者は想像したのだった。あくまでも想像であり、現実に「蝌蚪」が見えているわけではないけれど、しかしこの想像の目は、やはりちゃんと見ていることになるのだ。「やはり野におけレンゲソウ」。こんなことわざまで思い出してしまった。『微香性(HONOKA)』(2002)所収。(清水哲男)


March 2132003

 春深む一期不惑にとどかざり

                           廣瀬直人

書に「武田勝頼」とある。勝頼(1546-1582)は武田信玄の四男であったが、父を継いだ。戦国時代の血みどろの抗争のなかで、ついに生き残れなかった武将の一人だ。実録とはみなせないが、武田研究のバイブルと言われる江戸期に出た『甲陽軍鑑』に、勝頼最後の様子が書かれている。「左に土屋殿弓を持って射給ふに、敵多勢故か無の矢一ツもなし。中に勝頼公白き御手のごひにて鉢巻をなされ、前後御太刀打也。土屋殿矢尽きて刀をぬかんとせらるる時、敵槍六本にてつきかくる。勝頼公土屋を不憫に思召候や、走寄給ひ左の御手にて槍をかなぐり六人ながら切り伏せ給ふ。勝頼公へ槍を三本つきかけ、しかも御のどへ一本、御脇の下へ二本つきこみ、押しふせまいらせて御頚を取候」。無惨としか言いようがないが、これが「戦争」である。作者は「春深む」終焉の地にあって、武将の生涯にあらためて思いを致し、彼が「不惑(四十歳)」にもとどかずに死んだ事実に呆然としている。勝頼に感情移入して可哀相だとか、逆に愚かだなどと思うのではなく、ただ呆然としている作者の姿が、「春深む」の季語から浮かび上がってくる。濃密な春の空気のなかに、ひとり勝頼の生涯ばかりではなく、人の「一期(いちご)」を思う心が溶け込んでいくのである。『矢竹』(2002)所収。(清水哲男)




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