いつの間にやらプロ野球開幕……。そんな感じだ。この春はオープン戦も観なかった。




2003ソスN3ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 3032003

 春北風楽聖の絵のひとならび

                           須佐薫子

句で「春北風」とあれば「はるきた」と読むのが普通なのですが、掲句は「はるきたかぜ」と普通に読ませています。ああ、ややこしい(笑)。春疾風のひとつ。春の風といえば南風が普通だろうと思うのは素人で(失礼)、北風もごく普通によく吹いています。何年も天気概況を放送してきた私が言うのですから、嘘ではありません。それはともかく、句の情感はよくわかりますね。春休みの学校の様子でしょうか。あるいは普通の休日の音楽教室なのかもしれませんが、何かの用事でひとり教室に入ったのでしょう。外は春の嵐ですから窓を開けるわけにもいかず、普通の日ならにぎやかな教室も、しいんと静まり返っています。ピアノの蓋はしめられており、ガランとした室内を見渡していると、自然に目に入ってくるのは壁に貼られた「楽聖のひとならび」の肖像画です。普通の音楽の時間であれば、あまり気にも止めない彼らの顔が、いやにリアルに迫ってくる感じ……。私は小中学校を六回転校しましたが、どの学校の音楽室にも、ベートーベンやモーツアルトの同じ複製の肖像画が、普通に掲示されていました。あれはいったい、いかなる教育的根拠にもとづいていたのでしょうか。顔と音楽って、そんなに深い関係があるのかしらん。なかで私が何故か気になっていた一枚は、「魔笛」を作曲しているモーツアルトの姿でした。つまり、晩年の肖像ですね。苦悩する楽聖の背後にはオペラの一情景が描かれていて、いやにおどろおどろしく、一目見た誰でもが、モーツアルトを嫌いになっても普通だというような代物でした。あの暗い絵のせいで、クラシックはどれほど近未来のファンを失ったことでしょうか。「魔笛」は、しごく普通の感覚からすると、こんな作品です。「あらすじだけ見れば史上最低のハチャメチャ作品。モーツァルトの他の作品と違って、大衆劇場の興行師であるシカネーダーが自分の劇団のために作ってもらったもので、もちろん台本もオリジナル。団員が、何人かよってたかって台本を作ったためか、途中で善者と悪者の大逆転なんか朝飯前、ストーリーの矛盾点をつつけば、本が一冊できるくらいひどいものです」*。あの苦悩する肖像の意味を、教室に掲示した先生がたはご存知だったのでしょうか。……とは、つまらない皮肉です。ごめんなさい。「俳句」(2003年4月号)所載。(清水哲男)

[「春北風」の読みについて ] 読者より、メールをいただきました。「ハルナライと読ませるのだと思います。ナライは関東で冬の季節風をいうとして、春北風にハルナライ(ヒ)とルビがあり見出し語になっています。最新俳句歳時記・春(山本健吉編・文藝春秋)」。K.Y.様。ありがとうございました。私が定本としている角川版歳時記には載っていませんが、その他の歳時記でも確認されました。またまた私のミステイクですが、自戒のため、このままにしておきます。


March 2932003

 嫁入りを見に出はらつて家のどか

                           富田木歩

正五年(1916年)の作。べつに結婚式や披露宴に招かれていなくても、「嫁入り」となると、みんなで「見に」出かけた時代。戦後しばらくまでは、そんな時代がつづいた。私も、子供のころに「見に」行った記憶がある。作者もまた見に行きたかったのだが、歩くことができなかったので、やむなく「家」に残っている。隣近所の人たちも、みんな「出はらつて」いるから、昼間だというのにヤケに静かなのだ。めったにない静けさのなかで、ひとり「のどか」さを満喫している。とろとろと、眠気を誘われるのも心地よい。現代とは違って、昔の人が「家」でひとりきりになるなどは、そうはなかったことだろう。年寄りがいたり小さな子供や赤ん坊がいたりと、いつもどこかに人の姿や声があった。むろん、個室なんて洒落たものはない。さて、そのうちに見に行った連中が戻ってくる。「どんなだったか」と、もちろん作者は聞いただろう。聞かれるまでもなく話ははじまり、中身は例外なく品定めだ。「嫁」当人の印象はもとより、仕度の適当不適当や招待客の多寡にいたるまで、いや、そのかまびすしいこと。さきほどまでの静けさが嘘のようである。考えてみれば、昔のお嫁さんは大変だった。ガチガチの地域共同体に異分子として入っていくわけだから、溶け込むまでには相当の時間がかかっただろう。家のうちでも外でも、常に監視の目が光っていた。「あそこの嫁は働き者だ」。こう言われるようになって、はじめて共同体は少し扉を開けてくれるのだった。小沢信男編『松倉米吉・富田木歩・鶴彬』(2002・EDI叢書)所収。(清水哲男)


March 2832003

 弟と日暮れを立てば鐘霞む

                           柴崎七重

語は「霞(かすみ)」で春。「霞」は明るい間のみに使い、夜になると「朧(おぼろ)」である。「立つ」には一瞬戸惑ったが、たたずむのではなく、「出立」の「立つ」であり「発つ」の意だろう。成人した姉と弟。この二人がいっしょに旅立つなどは、めったにないことだ。小津安二郎の『東京暮色』ではないが、葬儀か法事のために、久しぶりに故郷で顔を合わせた。が、どちらも仕事を持っているので、そうそうゆっくりとしてもいられない。帰る方向は途中まで同じだから、いっしょの汽車に乗ろうという話になり、そそくさと出発した。そんな状況が想像される。二人とも、懐かしい故郷にいささか後ろ髪を引かれる思いで帰りかけたところに、これまた懐かしい寺の鐘が響いてきた。折りしも、春の夕暮れだ。それでなくとも感傷的な気分になっているところに、思いがけない追い打ちの鐘の音である。それもぼおっと霞んだように聞こえるのは、もとより作者の心が濡れているからである。幼かったころのあれこれが偲ばれ、今度はいつ来られるだろうかなど、口にこそ出さないけれど、二人の思いは同じである。ただ黙々と歩いている。物語性に味わいのある句だ。ただ、変なことを口走るようだが、二人の関係が姉と弟であるがゆえに、句になったということはあるだろう。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)




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