澁澤龍彦の机の抽出しに「アトムシール」がていねいに貼ってあった。三十数年前の話。




2003ソスN4ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 0742003

 寂しきは鉄腕アトム我指すとき

                           清水哲男

アトム
うとう「鉄腕アトム」の誕生日が来てしまった。半世紀前に雑誌「少年」でアトムの未来の誕生日に立ちあったときには、とんでもない先の話だと思っていた。まず生きてはいられないと思ったのに、今日、こうしてその日を迎えている。とりあえず、めでたいことには違いない。アトムが誌面に誕生したときには、漫画は悪だった。教育の害になるというのが、世間の常識だった。だから、私(たち)はいわば隠れて熱中した。むろん、作者には憧れた。それが、どうだろう、今の変わりようは。マスコミはもてはやし、企業は一儲けを企み、みんながアトムにすり寄っている。なにしろ「正義の味方」なんだから、どのようにすり寄ろうとも、どこからも文句は出ないもんね。でも、初期のいくつかの作品を除いて、私はアトムが好きじゃない。手塚治虫の私的なアトムは、いつしか作者にもどうにもならない公的な存在に変わっていったからだ。それに連れて、アトムの正義も極めて薄っぺらな公的正義に陥ってしまっている。この公的正義ゆえに、現今のマスコミや企業も乗りやすいのだ。むろん手塚も気づいていて、ヤケ気味に書いたことがある。「ぼくはアトムをぼく自身最大の駄作の一つとみているし、あれは名声欲と、金儲けの為に書いているのだ」(「話の特集」1966年8月号)。当時の本音であり、深く寂しい苛立ちだ。その寂しさが、どんどん格好良くなっていくアトムの外見に具現されているというのが、私の見方である。TVアニメのアトムは、しばしば格好よく指をさす。何かの行動を決断したときだ。その決断の根拠は、しかし公的な正義にもとづくもので、アトムの(いや手塚の)心からのものではない。だから、指さす表情はとても悲しげであり、寂しく写る。「週刊現代」の取材で、一度だけお会いしたことがある。憧れの漫画家はまことに多忙で、インタビューは事務所から車の中、車の中から喫茶店へと移動しながらだつた。喫茶店で話していると、何人かの女子高生がサインをねだりに割り込んできた。話を中断した漫画家は、彼女らの紙切れやノートに実にていねいに署名し、一人が通学用のズックのカバンを差し出すと「ホントにいいの」と言ってから、マジックインキで五分くらいもかけて「リボンの騎士」を描き上げたのだった。私も便乗しようかと思ったのだが、止めにした。あまりにも、彼は疲れているように見えた。『匙洗う人』(1991)所収。(清水哲男)

[ おまけ ]現在、JR高田馬場駅で流れている発車ベルにはアトムの主題曲が使われています。お聞き下さい。22秒、動画はありません。要QuickTime。


April 0642003

 直立の夜越しの怒り桜の木

                           鈴木六林男

ほどの「怒り」だ。一晩中、怒りの感情がおさまらない。それほどの怒りでありながら、怒りの主は夜を越して「直立」していなければならない。なぜならば、怒っているのは、直立を宿命づけられている「桜の木」だからだ。そして、この木の怒りはついに誰にもわからないのだし、花が散れば振りむく者すらいなくなってしまう。桜の木と日本人との関係について「五日の溺愛、三百六十日の無視」と言った人がいる。至言である。ところで、掲句を文字通りに解しても差し支えはないのだが、作者の従軍戦闘体験からして、桜の木を兵士と読み替えても、とんでもない誤読ということにはならないだろう。たとえば「夜越し」の歩哨などに、思いが至る。理不尽な命令に怒りで身を震わせながらも、一晩中直立していなければならない兵士の姿……。まさに桜の木と同様に、彼の内面は決して表に出ることはないのだと読める。それが兵士の宿命なのだ。こう読むと、たとえ諺的に「花は桜木、人は武士」などと如何にもてはやされようとも、実体はかくのごとしと、それこそ作者自身の怒りが、ようやくじわりと表に現れてくる。余談ながら、諺の「花は桜木……」は、歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』の十段目から来ている。天河屋義平の義の厚さに感じ入った武士たる由良之助が、一介の商人の前に平伏して「花は桜木、人は武士と申せども、いっかな武士も及ばぬ御所存」と言うのである。『鈴木六林男句集』(2002・芸林書房)所収。(清水哲男)


April 0542003

 逃水に死んでお詫びをすると言ふ

                           吉田汀史

語は「逃水(にげみず)」で春。草原などで遠くに水があるように見え、近づくと逃げてしまう幻の水[広辞苑第五版]。ときに舗装道路などでも見られる現象で、蜃気楼の一種だという。掲句を読んですぐに思い出したのは、敗戦時、天皇陛下に「死んでお詫びを」した人たちのことだ。敗戦は我々の力が足らなかったためだと自分を責めて、自刃を遂げた。あれから半世紀以上が経過した今、彼らの死を無駄であったと評価するのは容易い。「逃水」のような幻的存在に、最高の忠誠心を発揮したことになるのだから……だ。戦時中の私はまだ幼くて、空襲の煙に逃げ惑い機銃掃射におびえたくらいの体験しかないけれど、すでに祖国愛みたいな感情は芽生えていて、皇居前の自刃の噂にしいんとした気持ちになったことを思い出す。少なくとも、無駄な死などとは感じなかった。そうなのだ。人はたとえ幻にでも、状況や条件の如何によっては、忠誠を誓うことはできるのだ。ここで、かつての企業戦士を思ってもよいだろう。掲句は、そうした人のことを「と言ふ」と客観視している。しかし、冷たく馬鹿な奴めがと言っているのではない。むしろ、その人の心持ちに同調している。同調しながらも、他方で人間の不思議や不気味を思っている句だと、私には読める。作者が句を書いたのは、イラクの戦争がはじまる前のことだし、戦争のことを詠んでいるのかどうかもわからない。つまり直接今度の戦争には関係ないのだけれど、いまの時点で読むと、こんな具合に読めてしまう。最近の戦争報道でも、やたらと「忠誠」という言葉が出てくる。俳誌「航標」(2003年4月号)所載。(清水哲男)




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